「待ちなさい!  でなければ命を失う事になるわよっ!」
  夜。月明かりの下、一人のニンジャが草原をひた走る。そしてそれを追いかける女。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ」
  ニンジャの方も、少しでも気を抜けば自分の命がなくなるほど、危険な人間を相手にしていることは
わかっていた。だから、必死になって走った。草をかきわけ、大地を蹴り、もう無我夢中だった。
  そして、追っているほうも必死であった。
  ゼノビアの至宝、聖剣ブリュンヒルド。それがかのニンジャによって城より盗み出された。いち早く、
彼女が気づき、一所懸命に追いかけているというわけだ。
  ニンジャの忍び込みにまず手違いはなかった。ぬかりもなかった。なかったのは、運だった…。

  エルヴィラはなにやら胸騒ぎがしていたのだ。寝付きは悪い方ではないはずなのに、眠れない。ヒマ
つぶしに城を散歩していると、聖剣を盗み出した彼と鉢合わせした。
「エルヴィラぁーっ!」
  彼女がニンジャを追いかける時に大声で知らせたおかげで、援軍の第一陣がやってきたようだ。
  けっこう近くで、羽音がする。どうやら援軍は有翼人のようである。
「カノープスっ!  あのニンジャよっ!」
  エルヴィラとあのニンジャの足の速さではほぼ同じであるらしく、距離は縮まりもしないし、広がり
もしないかった。しかし、空を飛ぶのとでは、早さはだいぶ違う。
  しかも、援軍である有翼人は、風使いと呼ばれ、有翼人の中でも屈強を誇る男であったのだ。
  まさに、かのニンジャは運がなかったわけだ…。
「ぅおっしぃ!  任せとけぇぃっ!  サンダーァアロゥッ!」
  握り締めた拳を振り下ろすと、そこから電撃の矢が生まれる。バルタンと呼ばれる、有翼人の中でも
エリートに値するクラスが持つ特有の必殺技だ。
  カノープスが放った電撃の矢は違うことなく、ニンジャをねらった。
  バリバリバリバリッッ!
「うぎゃあっ!」
  見事命中し、彼の体中を電気が貫通した。
「ぐっぐふっ…」
  相当なダメージで、ニンジャはひざまずいた。服や髪の毛までもが焦げており、辺りに特有のにおい
が漂った。
「そこまでよ」
  やっと追いついたエルヴィラは自分の手持ちの剣を、彼の喉元につきつける。
「っ……」
  もう、彼の末路は決まっていた。このままつかまれば捕虜になるのは確実。
「……あなたはどこの間者なの?」
「…素直に言うとは思わねーぜ」
  やや離れた場所に降り立ち、カノープスはゆっくりこちらに歩いてくる。
「……それはそうなんだろうけど…」
  言われて、エルヴィラも少し苦い顔になる。それは、彼女も経験上分かり切ったことではあった。
「…まあ、とにかく。考えなさい。自分の命と、あなたの使命と。どちらが重要なのかを」
  気を取り直して、エルヴィラは剣をさらにつきつけた。刃先が彼の喉をうっすらと傷つける。
「ひくっ…」
  彼女は本気だ。だてに勇者と呼ばれているわけではないのだ。
  彼は言われた通りに考えた。言われなくても考えたであろうが…。
  そして、彼の考えた結果は。
「ふっ…。我らはニンジャ。闇に生き、闇に消えゆく運命!」
  そう叫び、奥歯を思い切り噛んだ。
  プチリと小さい音が聞こえた。
「…っぐ…ぐぶ…」
「あ!  しまっ…」
  ニンジャに手を伸ばし、だがすぐに引っ込めた。ニンジャはどす黒い血をだばだばと吐きながら、ゆ
っくりと倒れる。服毒自殺したのだ。
「歯の奥に毒を仕込んでたのか…」
「どうあっても捕虜にはならないって事ね…」
  エルヴィラは苦々しい表情で、剣を鞘にもどす。
「とにかく、ブリュンヒルドを返してもらわないとね…」
  血まみれの死体の懐をさぐると、すぐに光り輝く剣が見つかった。
「これでよし、と…」
「しっかし、どこの男だぁ?  コイツ」
「さあね…。………検討はつくけど」
「まあな…」
  あきれたような視線を首なし死体に投げ、カノープスは小さくため息をついた。
「それより、深夜の警備態勢を考え直す必要があるんじゃないの?  こんな至宝を盗まれるようなら、
ゼノビアもおしまいじゃないの。ちょっと冗談じゃないわよ」
「う〜ん、確かに。どこの間者とかいうより、そっちのほうが重要かも…」
  カノープスも眉間にシワを寄せて腕を組む。
「ま、とにかく。帰りましょうか。私、まだパジャマのままなのよ」
  そうなのだ。着替えるヒマなんか無かったのだ。上に上着を軽く羽織り、剣を持つだけもって急いで
ニンジャを追いかけたのだから。
「…おまえも、寝間着のまんまで、よくもまあ、あんだけ走ったな」
「しょうがないじゃないの。いちいち着替えるヒマなんて無かったのよ。そしたら、このままで追いか
けるより他ないわ。パジャマのままだからって、走るのをやめるわけにはいかないんだから」
「そりゃそうか。そんじゃまー、帰ろうか。来いよ。送ってやる」
  歩いて帰るより、飛んで帰った方が早い。
「じゃあ、お言葉に甘えて…」
  エルヴィラがカノープスの腕につかまったその時だった。
  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………
  大地の底から、うなるような地響きがした。
「な、なにっ!?」
「これは一体…、うわあっ!」
「キャアアァァッッ!」
  激しい地震がおき、立っていられない程の揺れに襲われる。
「は、早く飛んで!」
  飛べば地震は関係ない。いきなりのことに戸惑っていたカノープスも、エルヴィラの声に我に帰る。
「お、おう…、と、とぅわっ!?」
「キャアァッ!」
  ゴゴゴゴ…、バリバリバリバリッッ!  ドガァッッ!
  大地に大きなヒビが幾つも走り、その一番大きなヒビが左右に開いた。その、ちょうど真ん中にいた
二人は、大地の底に飲み込まれる。
「うわぁぁっ!」
「キャアァァッッ!」
  カノープスは飛ぶのも忘れ、そのまま落ちて行く。
「は、早く…っ、飛んでぇーっ!」
  エルヴィラはカノープスに爪をたてるほどに抱き着き、絶叫する。
  再度、我に帰ったカノープス。慌てて翼をはばたかせる。彼らの落ちるスピードがやわらいだ。
  が、しかし、翼をひろげた事でそこに石などの落盤物がさらに当たり易くなってしまうのだ。
  ドカドカッ!
  大小の落盤物がカノープスの翼に直撃する。
「ぐはぁっ!」
「カノープス!?  うわっキャーッ!」
  若干上昇したのだが、すぐに真っ逆さまに落ちて行った…。


「…………………」
「…………………」
  ………………………。
「…う、うう……」
  どこを打ったんだろうか。体中のあちこちが痛い。それでもやっと起き上がる。
  随分長い間気絶していたらしく、太陽の光りがここまで届いている。もう、昼近くということなのか。
「っくーっ…。不覚だったぜ…」
  あのとき、焦らずにさっさと空に飛び上がっていればこんな事は起きなかったのに…。
  手を額に当て、自責の念を強める。
  だが、いつまでも後悔していたって仕方がない。とりあえず、彼は翼をひろげてみた。
「いっつ…」
  どうやら翼をやられたらしく、ズキリとした痛みが走る。これではうまく飛べそうもない。
「あーあ…。俺とした事が…」
  重いため息をついて、しばらくうつむいていたが、不意に顔をあげた。
「……ここは……?」
  今更ながらであるが、カノープスは自分がどこに落とされたのかに気づいた。
  大地の割れ目に落ちたというのに、この広い空間は何だ。さらに視野を広げてみる。
「な、なんだ…?」
  思わず立ち上がり、カノープスは愕然とした。
  彼の目の前に広がっている景色。太陽の光に照らし出されたそれは、まぎれもなく人工的な建造物で
あった。
「なんだって、こんなとこに…?」
  市街地と呼ぶにふさわしい建物が並ぶ。そのどれもが廃墟となり、まったく生き物の気配はなく、た
だひっそりと、それらはそこに残っていた。
  好奇心がわきあがる。彼はゆっくりと歩いて行く。
  どこか砂っぽく、湿っぽさが感じられない。乾いた廃墟を、カノープスは見てまわる。
  建造デザインはカノープスが知っているものとは全然違った。まず、この時代に造られたものではな
いようだ。しかし、彼にはこのデザインと似たような感じのものを知っていた。それが何であったかは、
まるで思い出せない。
  とある一件をのぞいてみる。
  これといった家具は見当たらない。大きな朽ちたベッドがぽつんと残っていたりした。きっと出て行
く時、大きすぎて持って行けなかったんだろう。
  いったい、どれくらいの昔にここに何が起こったんだろうか?  ここに住んでいた人間が逃げ出した
というのはこの家を見ても検討がつく。
  それにしても…。
  けっこうな数の家々である。とある住宅地の一部と言っても良さそうだ。
  とりあえず、一緒に落ちたはずのエルヴィラは、どうなっているかと思って、さっきの場所に戻って
みた。
「う、う〜ん…」
  どうやら気づいたようである。頭をふりふり、起き上がる。
「おー、エルヴィラ。気づいたかぁ?」
「…カノープス…?」
  眩しいのか、額に手をかざし、カノープスを見る。
「どこ?  ここ…」
「さあな。俺も知りたいところだ…」
  本音を言って、彼も振り返って市街地を見た。
「あったた…。ったく、ツイてないわ…」
「平気か?」
  少しフラつきながら、ゆっくりとエルヴィラは立ち上がる。
「うん、なんとか…。それより、カノープス、あなたは?」
「うーん…。それがなぁ、言いにくいんだがー、ちょっと羽をやられたらしい」
  苦笑しながら、傷ついた翼をバサッと広げて見せる。
「羽を…?  えーっ、それじゃまさか…!」
「スマン。そのまさかなんだ。痛くて飛ぶ事ができねぇ」
「ちょ、ちょっと…。どうすんのよ…」
  小走りにカノープスに近寄り、傷ついた翼をちょっと手に取る。
「うーん…。まあ、そんなひどいケガじゃねえみたいだから、2、3日もすりゃあ、何とか治って飛べ
るだろうけど…」
「ヤダ、それじゃ、それまで上に帰れないってこと!?」
「……そーゆー事になっちまうな…」
「ツイてないなー、もー…」
「スマン。俺があのときさっさと飛べば良かったんだ…」
「そうよ!  …………まあ、突然の事だったもんね…」
  ちょっと責めてる様子もみせたが、すぐに仕方がないと首をふった。
「それにしても、ここは一体…?  どうして、地割れに飛び込んだらこんなトコに来ちゃうわけぇ?」
「それは俺も知りたい。なんか、むかぁしむかしの都市だったらしいけど…。なんか、よくわからん。
おまえも見てきたらどうだ?」
「…うん。そうする…」
  言われるまでもなく、エルヴィラは廃墟に向かって歩きだしていた。

「どう考えたって、この時代のモンじゃないわねー」
  しげしげと建物を眺め、見慣れない像に眉をひそめる。
「しかしよー、どっかで見た事あるよーなデザインなんだよな」
「そう言われれば確かに…。どこだろう…。私も見覚えあるみたい…」
  二人で舗装された道を歩き、並ぶ廃墟を見て回る。
「あら…?  あれなにかしら…」
「お、おい…」
  何かを見つけたらしく、エルヴィラはいきなり走りだす。カノープスも慌ててそれに続く。
「なんだよ?」
  エルヴィラが見つけたそれは、町の中央であるらしい、広場の真ん中にある石板であった。
「ホラ、これ…。なんか文字が書いてある…。えっと…?」
  パッパと砂をはらう。ぶわっと砂がわきあがり、カノープスは思わずむせた。
「ゲホゲホッ!」
「これは…?  ゼテギネア文字じゃないわねー…」
「神聖文字か?  なんかそれっぽいぞ」
「ああ、そうそう。なんか昔習ったような気がするんだけどねー…」
  眉をしかめて、石板を凝視する。
「天空…に……浮かび…し…シャン…ゲ…リアラ?」
「シャングリラじゃねーの?」
  頭をぼりぼりかいて、カノープスがいい加減そうに言う。
「あそっか…。えーとぉ、……なによ、これ。今の神聖文字と違うじゃないのよぉ」
「どう違うんだよ?」
「文法とか、そういうのよ。文字の形態もなんか違うわ。まあ、私も神聖文字がスラスラ読めるわけじ
ゃないんだけどさー」
「で、読めるのか?」
  ちょっと石板をのぞきこむ。昔はピカピカに磨き上げられていたのだろう。なんだか、すごく偉そう
な感じがする。
「わかんない。なんか、シャングリラについて書いてあるみたいなんだけど。んっと、シャングリラに、
預ける…。いや違うな、憧れる、かな…」
「なんか、俺ぁ、どーでもいーぜ。それよりもなんか腹減ってないか?」
「ちょっと。でも、気にはならない」
  どうやら、エルヴィラは石板の文字解読に夢中になっているようだ。
  あきれたように小さくため息をつき、石板とにらめっこしているエルヴィラを見る。
「俺、なんか食い物ねえか探してくる。そこにいろよ」
「わかったー」
  カノープスはエルヴィラに背を向けると、いつものクセで羽ばたこうと翼をバサッと広げた。
「ぃテッ!  ちっくしょー、飛べないんだったー!」
  舌打ちして、カノープスは口を曲げてやや不機嫌そうに歩きだした。

                                                         to be continued..