「どう? 父さん」
 今日の売り上げを計算しているハーパーに、まだメイド服を着たままのキャシーはお金
を数える父親の手元をのぞき込んでいる。
「……、……、………」
 なにか数えているらしく、ハーパーは口の中で何かつぶやいているようだった。
「……、……うん」
 そして、数え終わったらしく、数字をノートにかきつけて、そしてにっこり娘に笑いか
ける。
「上々の売り上げだ。みんな、よく頑張ってくれたな」
「やったー!」
 キャシーは喜んで、近くにいたヒカリとハイタッチを交わす。
「これだけ売り上げが良いとまたやりたくなってしまうな」
 あのハーパーがこんな事を言い出すのだから、かなりの売り上げがあったらしい。
「でも、すぐ飽きられちゃうかもしれませんよ」
 歓びに水を差すようなチハヤの意見だが、キャシーはもう一度この企画をやろうとは思
っていなかった。なにより、せっかくの休みを返上して、みんなに無理を言ってやっても
らった事なので、また次もとはもう言い出せない。
「ま、そうね。結局、好奇心だけで集まったみたいだし。それに、せっかくの休みだもの
ね。やっぱり休みはみんなゆっくりしたいよね」
 体力のある彼女が、そんな事を言うのだからキャシーも随分疲れたらしい。
「シーラ、マイ、ヒカリ。それにチハヤ。みんなご苦労だったな。これ、少ないが今日の
分だ」
 そう言って、ハーパーは用意しておいた封筒をそれぞれに手渡す。今日ばかりは特別に
日払いとなっている。
「まあ、ありがとうハーパーさん」
「わあ、ありがとう!」
「あ、すみません…」
「すみませんね」
 女の子達はそれぞれ礼を言い、チハヤも頭を下げてそれを受け取った。
「特にヒカリは酒場の仕事にも慣れないのによく働いてくれたな」
「あ、え、へへ…でも、そのお役に立てられたかどうかわかりませんけど、なかなかでき
ない体験させてもらいましたし…」
 ハーパーに労われて、ヒカリはなんともいえない可愛い照れた笑顔を浮かべる。みんな、
そんな彼女の笑顔を目を細めて眺めていた時、不意にキャシーがパチンと手を叩いた。
「あ、そうだ。これ着る事って他にないだろうから、みんなで写真撮ろうよ!」
「ああ、良いねそれ! 撮ろう撮ろう!」
 キャシーの意見にマイがすぐに同意する。
「じゃあちょっと待ってよ。化粧直ししたいわ」
「あ、そうだね。シモンさん呼ぶ前にみんなの衣装直そうか?」
「それなら、俺はシモンさんを呼んでくる事にしよう。ここで撮るんだろう?」
「うん。ごめんね、父さん」
 娘の言葉に、父親は鷹揚に頷いて売り上げの片付けを済ますと、酒場を出て行く。女の
子達は化粧直しを始めたり、お互いのエプロンの紐を結び直したり、ヘッドドレスの位置
を直したりを始める。
 チハヤはその間はヒマなので、女の子達がきゃいきゃいと衣装直しするサマをぼんやり
と眺めていた。
 程なくして、写真屋のシモンが呼ばれみんなはカウンターをバックに勢揃いする。シモ
ンは三脚をたてて、カメラを構えて居並ぶみんなに声をかけた。
「良いですかー? 撮りますよー。さんにぃ…はいっ!」
 ぼんっとフラッシュがたかれ、シャッターが落ちる。
「もう一枚、良いですか? さんにぃ…はいっ!」
 また、フラッシュが光った。
「ねえねえ、今度はみんなでポーズとろうよ」
 撮り終わると、マイが声をあげる。そうなると、みんな若い娘なのでノリもよくみんな
してポーズを取り始める。
「じゃ、父さんをご主人様に見立ててやろっか」
「あ、いいねいいね、メイドっぽくだね」
「お、おい…」
 キャシーの案にマイがすぐ同意して、4人の娘がハーパーを囲んで恭しいポーズをとっ
た。若い娘達に囲まれるのは悪い気がしないのだろう。彼も困りながらも、なんともはに
かんだ笑顔をカメラに向けた。
「チハヤは邪魔だから出といてー」
「………わかったよ……」
 すげないキャシーの言葉に、心持ち頬を膨らませながら、チハヤはカメラのフレーム内
から外れる。
「じゃ、いきますよー」
 シモンはハーパーをとり囲む4人娘を被写体におさめて、先ほどと同じように2、3枚
写真を撮った。
「それじゃ、今度はチハヤだね!」
 それが撮り終わった途端、マイがそんな事を言い出した。
「え?」
 まさかそんな展開になるとは思っておらず、チハヤは虚を突かれた顔をする。
「はいはいはい、こっち来てこっちこっち!」
 既にノリノリ状態になっているキャシーが、さっきまでハーパーがいた場所にチハヤを
引っ張り込む。異性の好みについては個人の趣味だの何だの色々あるとは思うが、彼女ら
が粒ぞろいなのはチハヤもわかっていた。
「はーい、じゃあ、今回の料理人のご主人様チハヤ君をみんなでかこみまーす!」
 そんな彼女達がキャシーの声を号令に自分を取り囲んでカメラに向けてポーズをとる。
 なかなかないシチュエーションに、思わずチハヤの笑顔が引きつった。
 ちょっと自分の表情がどうなっているのか不安であったが、嬉しくないと言ったらウソ
になる。
「じゃ、最後にみんなで並んで撮ろう! 父さんも入って入って!」
 キャシーはカメラのフレーム外から出ていた父親を再度引っ張り込み、ちょうど隣にい
たシーラの腕を組んだ。
「あはは。みんな腕を組んじゃおっか!」
 シーラもだいぶ気分が乗っているようで、隣にいるヒカリの腕を組み、そしてヒカリは
その隣にいるチハヤの腕を組んだのである。
「!?」
 チハヤが驚いているうちに、今度は彼の隣にいるマイが、チハヤの腕にかじりつくよう
に腕を組んだ。
「あははははっ! 押さないでよ、キャシー!」
「やあだもう、シーラも押してるよ!」
 横から押されて、ヒカリは笑いながらシーラとチハヤの両方の腕を力をこめて組むもの
だから、彼の右腕に食い込む柔らかい感触にチハヤは思わず息を飲む。左腕もマイの方に
抱きつかれているものだから、ダブルクッションというか、ゆるんでくる頬をどうにかす
るのがもの凄く大変だった。
「ははははっ」
「あははははっ!」
 押しくらまんじゅうしているようで楽しくなってきたのだろう。誰彼ともなく笑いだし
た。チハヤも最初は腕の感触にどぎまぎしていたのだが、そのうちなんともいえずおかし
くなってきて、自然に笑みがこぼれてくる。
 みんなでなにかをやり遂げたという一体感と達成感で、すごく気分が良い。喜びを共有
するって、こういう事なんだとチハヤがわかったのはだいぶ後だ。
「みなさーん。いきますよー」
 みんな良い顔で笑っているのを、シモンが撮り逃すはずがない。彼も笑いが伝播したよ
うな笑顔を浮かべ、シャッターボタンを押した。



 これもらってもいつ着るんだろう…、と言いたげに遠い目をしていた彼女をチハヤは横
目で観察していた。ヒカリはキャシーからよく頑張ってくれたからと、メイド服を現物支
給されたのである。
 お給料ももらったのだからと遠慮していたが、こっちで持っていても仕方がないからと、
キャシーに持っていけと言われてしまい、元来オシに弱い彼女は受け取る事にしたらしい。
 チハヤも何に使うんだかと思わないでもないが。まあ記念にはなるのだろう。
 今夜はやたら月が明るくて、夜道も青白くくっきりと浮かび上がっている。
 それでも、途中までは帰り道同じだよねと言われて、じゃあ家まで送るよと答えてチハ
ヤはヒカリの隣を歩いていた。
 あの後、後片付けをした後、打ち上げもやろうという事になり、チハヤはみんなの分の
夕食を作り、それをみんなで食べてまったりおしゃべりなんかしていたら、帰りが随分と
遅くなってしまった。
 酒場の仕事自体は忙しくて大変で、へとへとになってしまったけれど、とても楽しくて
すごく良い思い出になったと、帰り道、ヒカリはチハヤに話している。
 それを、チハヤは不思議な笑みを浮かべて聞いていた。
 いくら月明かりが明るいと言えど夜は夜。浮き立つ嬉しさを薄暗さが隠してくれる。夜
道を彼女と二人きり。
 秋の虫の音が草道からやや弱々しく響いており、そろそろ冬の足音が聞こえてくるのだ
ろう。
 他愛もない会話だったけど、二人きりというのが重要だ。
 田舎だから、人通りが少なくて今、ここには彼女と自分しかいないという世界。
 あの朗らかな笑顔を自分だけに向けてくれるのが嬉しい。
 いくらでもわきあがってきて、隠しきれない自分の笑み。嬉しいから笑う。当たり前な
事だけど、チハヤはそれがなかなかできなかった。
 でも、彼女といる時は、素直にそれが表現できた。
 彼女の事を考えると色々ともやもや考えて、イライラする時もあるけれど、一緒にいる
時は悩みよりも先に嬉しさが先に立つ。
 短い時間かもしれないけど、でも……。
 月明かりに浮かびあがる彼女の姿がとても愛しくて、とても……。
「ぅおおおぉぉぉーいいっ!!」
 静寂を打ち破り、背中の方からけたたましい声がした。
 雰囲気に浸っていたチハヤの気分を見事にぶちこわし、何故かルークが手をぶんぶん振
りながら、こんな時間だというのにやたらめったら元気に駆け寄って来る。
「やっほー! ひっかりー! オレだあああああ!」
 夜なんだから静かにしろなどという常識は彼には通用しない。
 この……。
 一瞬、チハヤの顔がひくついたが、彼の方に振り返るヒカリはいつもと同じように微笑
んで軽く手を振った。
「こんばんは。どうしたの?」
「はっはー……。はあ、はあ…全速力で走った……から……た、たんま……」
 しかし追いついたルークは近寄るなりうつむき膝に手をおいて、肩で大きく呼吸を繰り
返している。
 本当に何しに来たんだ、こいつは……。
 思わず引きつる顔を隠せず、チハヤはルークを睨み付けた。
「ふう、はあ…………んっ……ふーっ。いやー、とりあえず走ったらおまえらしき人間が
見えたからさ、とにかく走ってみたんだ! やっぱヒカリだったかー」
 僕もいるんだけど。
 と言いたいものの、言っても無駄かと思うとチハヤは口を開く気力がない。
「どうしたの?」
「おう! そうだったな! サーカス見てたんだけどよー、クロエが途中で寝ちまってよ
ー。クロエが寝ちまっちゃしょうがねーだろ。あのサーカス毎回同じ事しかやんねーし、
もうほとんど終わりだったから帰って来たんだよ!」
 言ってはいけないことを口にして、ルークはからからと笑っている。
「……でも、クロエちゃん見ないけど?」
「オレが一人で走り出したからな。オセがクロエをおんぶして、ボアンと一緒にやって来
ると思うぜ。ほら!」
 ルークが振り返って自分が走って来た方をびしっと指さすと、なにやら遠くの方に人影
らしきものがこっちに向かって歩いてくるのがなんとなく見えて来た。
「よおぉーい! おまえらぁ早く来いよー! ヒカリとぉ! …えーと、…あとチハヤさ
んがいるぞー!」
 ルークは言いかけて、チハヤの方を向いてから確認すると改めて街の方から来る人影に
声をかけている。
 色々と、こう、色々と口をはさみたい気分になるチハヤだが、彼自身は無駄な事をよし
としない主義である。それを考えるとチハヤはため息しかはき出せない。
 人影は、一人はやや早歩きでこっちに来て、もう一人はゆっくりと歩いてくるようだっ
た。
「先輩。いきなり全速力で走り出さないでくださいよ」
 早歩きで来た人物はボアンのようで、近づいてくるにつれ人相もはっきりしてくる。
「駆けっこしようって言ったのにおまえら付き合い悪ぃんだもん」
「オセさんはクロエちゃんをおんぶしてるんですよ? 付き合うわけないじゃないですか。
そりゃ、クロエちゃんが元気だったらともかく、今は寝てるんですから…」
 疲れたボアンの声に、悲壮感が漂う。立場上、どうにも彼は同情というか、憐愍の視線
を向けられる事がやたら多い。
「あそっか。そういやそうだな。ははっ。悪い!」
「ふーっ…」
 いつも大変そうだな……。
 ボアンを前にして何度思った事だろう。
 結局、何となくオセを待つムードになったので、立ち止まって待っているとやがてクロ
エを背中におぶったオセが見えてくる。
「おお。なんか悪いな。待たせちまったようで」
 オセはヒカリとチハヤを見て、ほんの少し歩調を強めた。
「すっかり寝ちゃったの?」
「ああ。いつもさっさと寝てやたら朝早く起きるからな。たまの夜更かしがツライみてえ
でな」
 子供に向けるヒカリの視線はいつも優しい。とりわけ、クロエに対してはだいぶ暖かい
ようだ。
「途中まで一緒だろ? みんなで帰ろうぜ」
「そうだね」
 ルークの言葉に素直に頷くヒカリの笑顔が、今はチハヤの心に波風を立てる。
 せっかく二人きりだったのに……。
 しかし、仕方がない。チハヤはため息を飲み込んだ。
「けど、おまえらなんでこんなに遅いんだ? 酒場は3時頃には閉めたんだろ?」
 オセはヒカリとチハヤを交互に見て、疑問を口にする。
「打ち上げも兼ねてね。あの後、みんなで夕ご飯を食べたんだよ。それから、ゆっくりし
てたらなんだか遅くなっちゃったね」
 青白い月明かりに照らされて、ヒカリはチハヤに微笑みかけた。
「…そうだね」
 先ほどの上機嫌さは無くなってしまったので、いつもの調子に戻ってチハヤはそっけな
い調子で頷く。
「…しっかしメイド喫茶なんて、はじめに誰が考えついたんだろうな?」
「キャシーが言い出したんだよ」
 苦笑混じりにオセが言うと、ヒカリがやや焦点のぼやけた返答をする。
「え? あいつがやろうって言い出したのか? …って、じゃなくてよ。最初だ、最初。
一番初めに誰がやろうって考えついたのかと思ってな」
 今回の立案者がキャシーだという事に驚いたようだが、さっきのオセの言いたい事はそ
ちらではないので、慌てて言い直した。
「ああ、そっか……。誰だろうね?」
「さあ……」
 それについてはチハヤもわからないけれど、知りたいとも思わない。
「きっとメイド好きだな!」
 あまり考えてなさそうなルークの言葉だが、案外的を射ているかもしれなそうだった。
「ヒカリさんのメイド服、可愛かったですよ」
「えー? なんかそんな事を言われると恥ずかしくなるね」
 さりげなくボアンがポイントを上げそうな事をさらりと言ってのけ、チハヤは思わず内
心舌打ちする。
 …さっさと言っておけば良かった。…そんな可愛い照れ顔見せてくれるくらいなら…!
 などと思いながら、チハヤは明後日の方向を向いて自分自身に小さく悪態をつく。
「……そうだなー。…うん! そうだ! ヒカリのメイド服すげー可愛かったぞ!」
「あはは。ありがと」
 ルークはヒカリの顔を見て、一瞬呆けたような顔をしていたが、ボアンの言った事を強
調させて言うと、今度のは軽く流されてしまったようだ。



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