「…うー? うう……」
 みんなの話し声のせいか、単にルークの声が大きかったせいか、オセの背中ですっかり
寝入っていたクロエが起き出したようで、もぞもぞと動き出す。
「ん? 起こしちまったかー?」
「ふ……ふああああ……。あれ…? サーカスは?」
「終わっちまったよ。おまえまた途中で寝ちまったろ」
 オセの声が優しい。クロエは目をこすりながら、きょろきょろと周囲を見回している。
「……ううー……。またなのだー……」
 そして、ここがサーカス会場じゃないとわかると、クロエはいつもの彼女らしくなく悲
しそうにため息をついた。
「…またサーカスの途中で寝てしまったのだー……」
「またって……毎回そうなの?」
 彼女の事だから、サーカスが来るたびに行っているはずだが、そのことごとくを途中で
寝てしまっていたのだろうか。チハヤは驚いて少し声をあげてしまった。
「そうなのだー。楽しいはずなのに、どうしても途中で寝ちゃうのだ……」
 泣いているのか、あくびの涙なのか、クロエはちょちょぎれた涙を手でぬぐう。
「…って事で毎回付き合わされるんだ、俺は…」
 あきらめているようで、オセはおどけた声で背中のクロエを背負い直した。
「ううー…いつになったらアタイはサーカスを終わりまで見れるのだ……」
「心配しなくってもそのうち見れるって」
「そうかな?」
「そうそう」
 クロエとオセはまるで兄妹か親子のような雰囲気で会話している。
「……ふう……。にいちゃん、アタイ自分で歩くのだ。おろして」
「ん? そうか。ちょっと待て」
 オセはいったん立ち止まると、クロエを降ろしてやると彼女は起きたばかりにしては、
しっかりとした足取りで歩き出した。
「また今度に挑戦するのだ!」
「おーおー、してくれしてくれ」
 拳を振り上げて、クロエはオセに宣言すると、彼は笑いながら立ち上がる。
「あ、ヒカリもいるのだ! ヒカリヒカリ! 手ぇつなご!」
 そして、クロエはヒカリを見つけるなり喜んで、並んで歩いている彼女の手をぎゅっと
握った。それを見るチハヤにとってはその無邪気さがうらやましいというか、うらめしい
というか…。
「ははは。元気だねー、クロエちゃん」
「アタイはいっつも元気だよ! ……ねえ、お姉ちゃん」
「ん?」
「今日のあの、黒っぽい服は脱いじゃったのか? もう着ないのか?」
 クロエはあのメイド服の事を言っているのだろう。いつもの作業着に戻っているヒカリ
を見上げて、そんな事を言う。
「もう着ないよー」
「え! なんで!?」
 なんでそこでルークが突っ込むんだ? という言葉を飲み込んで、チハヤは彼の方に思
わず視線を寄越した。
 ヒカリもそう思ったのだろう。ちょっと驚いた目でルークを見た。
「なんでって…あの企画は今回限りのものだし。他に着る機会ってないし」
 それはそうだろう。ああいう企画でもない限り着るような服ではないし、好んで着るよ
うな彼女ではない。
「ふーん…そっか……。アタイも大きくなったら着てみたいのだ」
「そう? 服、もらったからクロエちゃん、大きくなったら着てみる?」
「本当か? 着る着る! 着たい着たい!」
 一瞬、オセは大きくなったクロエのメイド姿というのを想像したのだが、彼の乏しい想
像力では彼女が今の幼い姿のまま、ただ大きくなっただけのクロエが想像されて、今日見
た彼女達のような妙な色気があるメイド姿にはならなかった。
 自分の想像力の乏しさにオセは頭を振り、空を見上げる。
 夜空には大きくて丸い月がぽっかりと浮かびあがって、辺りを優しく照らしていた。
 やがて6人はクラリネット地区にさしかかり、分かれ道にさしかかる。
 家まで送るって言ったしー……。
 そんな理由で、チハヤはカバル草原への分かれ道を経ても、みんなと一緒に歩いている。
 幸いというか何というか、誰もそれをおかしいとは言い出さず、それだけ違和感なくチ
ハヤは歩いていたという事だろうか。
 けれど、ヒカリの家はクラリネット地区にある。鉱山地区に住んでる人々とはここでお
別れだ。
「それじゃあ、みんなおやすみ」
「おう。またな」
「またな!」
「おやすみなさい」
 ヒカリが鉱山地区に住む連中に手を振ると、オセはポケットに手を突っ込んだまま落ち
着いた声で、ルークは元気よく、ボアンは礼儀正しく応えた。
「…ねえ、ヒカリー」
「ん?」
 別れ際、月明かりに照らされるヒカリを見上げていたが、不意にぱたぱたと手を振って
彼女を呼ぶ。そして、よくやってくれるようにヒカリがクロエの目線に合わせてしゃがん
だ時だった。
「えい!」
「わっ!」
「っっ!!!!!」
 クロエが、昼間と同じようにヒカリの胸を両手でわし掴んだのである。思わず雷が走っ
たかのように驚愕する青年達と、彼らの顔が真っ先に視界に飛び込んでしまって違う意味
で驚愕するボアン。
「ちょ、ちょっとクロエちゃっ……」
 しばらくぐにぐにと揉んでいたクロエだが、すぐに胸元に頭から真っ直ぐ飛び込んだ。
「ああ、もう……」
「ふふふー…。ヒカリってあったかくて、やーらかくって…気持ち良いのだー…」
 甘えた声を出してクロエがヒカリの胸の中で顔をこすりつけながら目を閉じる。しばら
く驚いたように少女を見ていたヒカリだが、やがて小さく微笑んで優しくクロエの頭を撫
でた。
 クロエはまだ幼いというのに、両親はもはやこの世にいない。そんな状況でありながら
も、明るく元気に頑張っているのだ。
 ヒカリが彼女に優しいのは、母親のいない彼女を不憫に思っている所もあるのだろう。
 ……っていう、事情は……みなさん知ってますよね?
 ボアンは位置の関係で男3人の顔がよく見えたため、彼らの顔を上目遣いで気後れした
ように眺めている。
 …ヒカリさんがクロエちゃんに優しいのは今に始まった事じゃないですし……。クロエ
ちゃん、お母さんを思い出してるだけでしょうから…そんな他意とか……全然ないと…思
いますよ? まだあんなに幼いじゃないですか……。
 言い出せない言葉を胸の内でつぶやき続ける。
 あの……だからそんな……、みなさんそんな…

 そんなスッッッゴイ顔しなくても……!

 見てはいけないものを見てしまったかのように、ちらちらと気まずげにボアンは3人の
男の顔を見た。
 誰もが無言で、別れを惜しむ彼女らを見守っているとは言い難いような沈黙だったのだ
が、当の彼女達はまったく気づいていないようである。
「ふう!」
 そして、気が済んだらしくクロエはぱっとヒカリの胸から顔を離した。
「元気出た?」
「アタイはいつも元気だよ!」
 優しいヒカリの声に、クロエは元気よく答えた。
「ふふ。じゃあ、おやすみ!」
「わ」
 そんなクロエを微笑んで見ていたヒカリは、軽く彼女のおでこにキスをして、頬を軽く
撫でる。お母さん気分なのだろうか。
 ……だから……そんな顔しなくても……。
 突っ込めない突っ込みを心の奥底にしまい込んで、ボアンは男3人の顔をまともに見る
事ができない。
「おやすみ、ヒカリ!」
 にこーっと顔中に満面の笑みを浮かべて、クロエがとても嬉しそうに手をばたばた振っ
た。
「おやすみなさい。オセ達も、おやすみね」
「っ! お、おお、ま、またな」
 ヒカリに呼びかけられてオセが呪縛から解き放たれる。硬直を慌てて解いて、焦ったよ
うに返事をした。
「お、おやすみなさい」
「おい、帰るぞルーク」
 未だ硬直から解き放たれないルークの肩をばしっと叩いて、オセは無理矢理呪縛から解
き放つ。
「……はっ…!」
「帰りましょう、先輩」
 慌てたような、取り直すようにボアンがそう言って、ルークの背中を押した。
「おやすみねー! ヒカリー!」
 元気なクロエは歩きながらも大きくばたばたと手を振っていた。
 クロエ達が遠くなって暗くなって見えなくなるまで見送って、ヒカリは小さく息をつく。
「ふう……」
「………………」
 いやに落ち着かない心をなんとか落ち着かせようと、チハヤは手に滲んできた汗をエプ
ロンでぬぐった。
 頭ではわかっている。少女がヒカリの胸の中に飛び込んだどころで女同士だし、それよ
り以前のものがあるのはわかっているのだ。
 わかってはいるのだが。
「あ、ねえチハヤ」
「…あ、え?」
 不意に名前を呼びかけられて、チハヤは我に返る。
「ちょっと、ウチに来てもらえる?」
「え?」
 その言葉に、思わずチハヤの声がかすれた。
 それは…まさか……。
 まさか……!
 走馬燈のように妄想がチハヤの頭を駆け巡り、怒濤の勢いであふれ出す。
「持ってってもらいたいものがあるんだ」
 そしてヒカリの言葉で、妄想は崖からなだれ落ち込むかのごとく崩れて行った。
「あ、う、うん…」
 それでも、彼女の誘いを断る理由なんかない。チハヤはヒカリの背中を追いかけて、少
し小高い場所にある彼女の家の方へ、数歩ほどを遅れて歩く。
 彼女の家の前まで来ると、ヒカリは「ちょっと待っててね」と待たせて、自分は家の中
に入ってしまった。
 残念ながら、彼女の家には入らせてくれないようだ。
 ま、当然なんだろうけどね……。
 一人暮らしの年頃の女がこんな時間に男を引っ張り込むというのはやはり良くないだろ
う。なにせ、彼らはまだ“友達”でしかない。
 それ以上の関係になぜか一歩踏み出す事ができない。自分の落ち度か、はたまた彼女に
その気がないのか。そのどちらかなのか、チハヤにはまだよくわからない。
 さっきの事もそうだけど、彼女の事となるといまいち冷静になりきれないのだ。
 あんな幼い女の子に嫉妬したって仕方がないとわかっているのに。
 人の気持ちは簡単に片付かないものだと思う。
 どれくらい待たされただろうか。たいした時間でもないはずなのだが、なんだか長く感
じた。
 玄関のドアからひょこっとヒカリが頭を覗かせて、姿を表す。
「ごめんごめん。入れ物を探すのに手間取っちゃった。これ、食べて」
 そして、ヒカリは小さな紙袋をチハヤに差し出した。
「ん?」
 家からの光で、中をのぞき込めば何が入っているかくらいはわかる。
 中には、紙ナプキンに敷かれた白い紙箱がちょこんと入っていた。香ばしくて甘い柑橘
類の香りが箱の中から漂ってきて、チハヤの鼻腔をくすぐる。
「……オレンジクッキー?」
「あたり。さすがに匂いだけでわかっちゃうかー」
「どうしたの? これ」
「うん。今日みんなで食べようと思って午前中に作っといたんだけどね。ここを出る前に
慌ててたもんだから、結局忘れちゃってねー。取りにも帰れなくて……」
 苦笑いして、ヒカリは情けなさそうな声を出した。
「他にもハーブクッキーとかも焼いたんだけどね。全部忘れちゃってさ。チハヤは一人暮
らしだから、そんなにたくさんもらってもしょうがないと思ったんだけど、オレンジ好き
だったよね? チハヤの口に合うかわからないけど。オレンジクッキーだけでももらって
欲しいかなって……」
 そう言って、少しはにかんだような可愛らしい笑顔を向けてくれる。
 チハヤの心臓が一際高く鳴り響いた。この笑顔が見たくて、もっと見たくて、独り占め
したくて。でも…届かなくて。
 何か言おうと口を開くが何も言葉が出てこなくて、少しだけ動かしたけど、やはり何も
言葉は出てこない。
「…う、うん……。ありがとう……」
 結局、出てきた言葉はありきたりで平凡な言葉。
「ははっ、また料理試験とかなっちゃうと私もちょーっと覚悟いるんだけどね。多分、多
分大丈夫だと思うよ」
 チハヤの料理の腕は巨匠のユバに適わなくとも、一流だ。そんな彼に差し入れというの
もヒカリとしては、それなりに覚悟がいるらしい。
「…あ、いやいや。大丈夫だって。ヒカリの料理はちゃんと美味しいから」
「そうかな? そう言ってもらえるとホッとするけど。あ、でもね。卵とバターはうちの
アヒルちゃんと牛さんからとれたものだから、それだけでも大丈夫だと思うよ」
「……だから、大丈夫だってば。ありがとう。いただくよ」
 のぞき込んでいた紙袋を降ろして、チハヤは自然にわき上がってくるままに微笑んだ。
そしてまた、彼女はチハヤを真っ直ぐ見て微笑んでくれて…。
「うん! …じゃあ、おやすみなさい。気をつけて帰ってね」
「うん。おやすみ……」
 笑顔の余韻を残しながら、ヒカリは手を振りながら玄関の扉を閉める。
 しばらく、その場に突っ立っていたチハヤだが、やがてヒカリの家に背中を向けて歩き
出した。
 妙に嬉しくて走り出したい気分だ。スキップでも良い。サンダル履いてるけど。
 今だけなら、嬉しくて叫んで走り出すルークの気持ちがわかってしまう。
 こんな小さな事で喜べるなんて、随分安いなと心のどこかで思うけど、それでも良いじ
ゃないかと、また別な場所で思っている。
 好きな娘から、手作りの大好物を手渡されて、嬉しくないわけがないじゃないか。
 やっぱり走り出したい気分だ。
 サンダルだけど…。
 サンダルだけど、まあいいか!
 チハヤは喉の奥で小さく笑うと、ぱたぱたと自分の家を目指して軽く走り出す。そして、
途中で飛び上がり、月に向かって拳を力強く突き出したのだった。


END























チハヤ片思い話です。一応ルークとオセも片思い入ってますが、チハヤほどハートの数は
多くない感じで。
とりあえずバカネタを消化するためのハナシなので、片思いで終了です。なんだかんだと
役得チハヤな感じになりましたが。
メイドネタなんて今時ありふれてますが。公式4コマのコトミちゃん見てたらやっぱりメ
イド服って良いよねって感じでこんなネタ。メイド喫茶は私も行った事がありませんが。
友達が勤めてるってのは聞いたんですけどねー。最近その子とは全然会ってませんしねー。
結局このハナシで一番書きたかったのはシーラかもしれません。さすがにやすら樹の時の
性格がアレだったせいか今回は修正入ってましたねー。わくアニのシーラは付き合い良さ
そうだけど、やすら樹の方はメイド喫茶なんぞ付き合ってくんなさそうですよね。
そういやヒカリがガーターベルトつけてますが、彼女だけでなくみんなつけてる設定です。
衣装がおそろいということで、そこもおそろいにした設定です。ヒカリとマイは寄せてあ
げるブラもつけさせられています。シーラの押しに押された結果です。…という設定を作
中に書けなかったのでここで書きました。
もひとつ書きたかったのは鼻から牛乳のルークです。キャラ的に率先して牛乳飲まなそう
だったので、最初は鼻からニンジンジュースだったのですが、ここはやはり鼻から牛乳だ
ろう。鼻から牛乳に決まってんじゃん! って、鼻から牛乳。
ルークは良いですね! 個人的に婿としてはまあ、うん、な感じですが、キャラとしては
かなり良いです。実は私、ルークの縦読みラブレターに気づきませんでした。ネット見て
縦読みだったんだと知った次第でありました。
そういえば…特に何も考えずに書いていたら、お子様ランチにハンバーグを入れてしまい
ました。急遽魚のフライに変えましたが。実はケチャップライスも元はチキンライスでし
た。…コンソメも使えないのかな、ここは…。
しかし、肉料理がないってどうなんですかね。牧場って肉も含んでるじゃないかと。…な
どとボヤいても仕方ありませんが。ゲーム内に肉が出てこない理由もわかるんですけどね。
酒場で出してるのが全部カクテルとかね…。まあ…大人の事情なんだろうな、とは思いま
すが……。
このゲームの世界観は表示されている住人だけなのか、それとも表示されないだけで他に
人もいるのか、わかりませんがー。それを決める必要はゲームではないのですが、二次創
作ではそれだと困りますなぁ…。