ハモニカタウンはよく言えば静かで緑豊かな環境の良い街である。悪く言えば人口もそ
う多くなく端的に言えば田舎な街だ。
 だから、都会で流行っているものとして入ってくる情報も少し遅い。
「ふーん……へえ……」
 この街に唯一ある酒場アルモニカで、そこの看板娘のキャシーは雑誌をバーのカウンタ
ーで読みながらお菓子を食べていた。カウンターの向こうの厨房では料理人兼バーテンの
チハヤが今夜出すための料理の仕込みをしている。
 酒場が開く時間は早くはない。昼過ぎの今は開店準備に当てられる時間だ。
 キイ…。
 裏口の戸が開く音に目をやれば、店主のハーパーが酒瓶の箱を抱えて入ってきた所であ
る。時間からいって、船から調達された酒を仕入れてきたのだろう。
「ねえ、父さんさ」
「ん?」
 キャシーは雑誌を手にしながら、早速雑誌を読んでいて頭に浮かび上がった案を話して
みる。
「都会ではメイド喫茶ってのが流行ってんだってさ」
「メイドキッサ?」
 ハーパーは眉をしかめて、娘の言葉をオウム返しに聞いた。
「女の子がメイドの格好して給仕するんだって。都会じゃヘンな事が流行ってるよねー」
「……メイドって…、使用人とか、そう言う類のメイドか?」
「他に何があるっていうのさ。ははっ、でも単にメイド服を着て給仕するだけならウチで
だってできそうだよね」
「……おまえがメイド服を着るのか?」
 メイド服で給仕する事の何が受けて流行るのかわからないハーパーは、まだ眉をしかめ
たまま言う。
「面白そうじゃなーい? シーラにも着てもらえばお客さんが増えるかもよ、父さん」
「……制服を着るだけ…というならまあ、手軽だろうが、ウチは喫茶店じゃなく酒場だ
ぞ?」
「夜までの時間の夕方なんかはほとんど喫茶店じゃない。その時間なら子供が来ても問題
ないくらいだし。タイムサービスみたいな感じでどうかなー?」
 妙に乗り気になっている娘に、ハーパーは少し思案する。まあ、制服を着るだけで仕事
内容に大差はないだろう。
「……うん……。……チハヤはどう思う?」
 娘の話を聞いて、ハーパーは料理の仕込みに執心している厨房のチハヤに話しかける。
「……別に構わないと思いますけど…。ただ、メイド喫茶が都会で流行ってるっていって
も一部の限られた人に向けてだし、この街でウケるんですかね?」
 都会出身のチハヤは随分遅れて入ってきた流行情報に、半分呆れたような声を出した。
「いーのよ。みんな田舎者なんだから都会で流行ってるって云えば、そうなんだーって思
っちゃう人たちばかりだもん。ようは『都会で流行ってる』っていうのに興味がそそられ
るわけよ。アタシみたいにさ」
 キャシーは自分自身を引き合いに出してけらけら笑っている。まあ、ある意味自分達の
事を冷静に見ているキャシーの言葉は、確かにその通りなのだろう。
「…まあ、僕は反対しないですよ。でも、喫茶にするなら用意するのはお菓子とかの方が
良いって事になるのかな?」
 さすがに料理人のチハヤは企画そのものよりも、それに必要になる食べ物の方に関心が
あるらしかった。
「そうね。ヘンなおじさんが来ても困るし、彼らが食欲なくすような甘〜いのが良いかも
ね。静かなここに、ちょっとした刺激にでもなれば良いかなとも思うけどさ」
「客層はどのへんに想定してるの?」
 あまりよく考えていなさそうなキャシーに、チハヤは軽く息をついて彼女を見る。
「…そうね、まあ、好奇心が強そうな人たち、かなー? 老若男女問わずに、その時だけ
はアルコールは禁止でさ」
「子供も入れるのか?」
 ハーパーがキャシーの発言に驚いて、眉を跳ね上げた。
「本来の酒場が始まったら出てもらうわよ、もちろん。まあ、ここのところイベント無い
しさ。ウチでちょっとしたイベント催すみたいな感覚で言ってるんだけどね。…まだ詳細
とか全然考えてないし、実際やるとしたらもっと考えなきゃいけないとは思うんだけど、
どうかな?」
 確かにキャシーの言ってる事は思いついた後に付け足しながらの発言が多く、実現させ
るには解決しなければならない問題も多そうである。しかし、何かやりたいらしいという
のは伺えた。
「…僕はさっきも言ったけど、構わないですよ」
 チハヤがそう言ったので、ハーパーは顎に手をやって、ふむと考える。キャシーはこの
酒場や街の事を考えての思いつきなのだろう。確かにここはのんびりとした良い街だが、
都会的な刺激はほとんどない。そこが良いと言ってしまえばそこまでだが、退屈と言えば
退屈とも言えるのだ。
 まあ、お遊びみたいな企画だがキャシーに全部任せてみるのも良いかもしれない。
 ハーパーはそこまで考えるとまた静かに頷いた。
「…キャシー、おまえが全部やってみるか? もちろん、協力はするが」


「…やっても良いけど、私、ダンスしかできないし、給仕はできないわよ」
 メイド喫茶もどきの企画をシーラに話してみたら、そんな答えが返ってきた。
「そっかー…。私一人で切り盛りしても悪かないけど、一人は受付で一人が延々給仕って、
なんかあんまり楽しくなさそうねー」
 とりあえず、実現できるかどうかはともかくやれるとこまでやってみようとキャシーは
画策しているのだが、最初からあまり芳しくない感じのスタートである。
「チハヤ、やっぱりメイドがずらーってお出迎えした方が良いの?」
「…僕はそのメイド喫茶とやらに行った事はないんだ。あるのは知ってるけどね。でも、
メイドって言うくらいだから、二人じゃ寂しいんじゃないの?」
 それだけではやる意味がないとばかりに冷たい声で、チハヤは今日も料理の仕込みに余
念がない。
「そっかー。そうよねー。臨時で助っ人頼むかなー」
「その人にバイト代だすの?」
 シーラがバーにもたれかかってキャシーを見る。
「そこまでの余裕もあまりないのよねー。ここは人脈に頼るかしらねー」
「あら、タダ働き?」
「ちょっとは出すってば。まあ…お給料と呼べる程のものは出せないけどさー」
 少し情けなさそうな声を出して、キャシーは苦笑いをする。自分だったら頼まれてもや
らないだろうな、と思いながらチハヤは鍋で煮立つダシの味を確認した。
「誰にすんの? …まあ、キャシーなら顔が広いからお駄賃みたいなのでやってくれる人
くらい、探し出せるんでしょ?」
「マイとかどーかな?」
 彼女なら、キャシーとも仲が良いし、給仕の腕は心配する事はない。
「…構わないと思うけど、あの子、宿屋で給仕してる時の服ってメイド服っぽいじゃない? 
新鮮さが無いんじゃないかしら?」
 チハヤは彼女達の話を背中で聞きながら、シーラの意見に同意していた。
「リーナは……、渋るかなー…。楽しんでやってくれるかもしれないけど、メイド服って
のに抵抗持つかなー? うーん」
「ヒカリなんてどう? 彼女ならやってくれそうじゃない? あの子いつも作業着ばっか
りだし、新鮮さなら出そうよ」
 シーラの口から出た彼女の言葉に、チハヤが背中でぴくりと反応する。
「うん、あの子の事も考えたんだけど、彼女も忙しそうじゃない? 断られるかなーと思
ってんだけど…」
「誘うだけ誘ってみれば良いじゃない。案外ニコニコしてやってくれるかもよ?」
 紅い横髪をなでつけながら、シーラは崩していた姿勢をちょっとただした。
「そうねー。あの子なら天然で乗り切ってくれそうだしなー」
「私もあの子ならよく知ってるからやりやすいし」
 先ほどから彼女らの話題になっているヒカリはシーラとも仲が良いようで、シーラにと
ってキャシーほど親しくないリーナよりは好ましいと思っているらしい。チハヤはその会
話を聞きながら、無言の背中でシーラの意見を肯定していた。
「んー。ダメもとで頼んでみるかな」
 胸の中で密かにガッツポーズをつけたチハヤは、思わず止めていた手を再び動かす。
 チハヤがヒカリに初めて会ったのは、サクラの花が咲いていた頃だ。とびきりの腕の料
理人がいる事と、食材の良さからこの土地に来たのに、料理人の方はともかく食材のデキ
の悪さはその年は酷いものだった。酒も仕入れられない酒場に就職などマヌケとしか言い
ようがない。
 チハヤは教会広場で一人ため息をついていた。そんな時、彼女がやってきたのだ。こん
な時に、こんな時に牧場をやりたいなど奇特な人間だと、当時は思ったものである。
 けれど、彼女が来てからこの街には次々と良い事が起こり物事の好転が続いたのだ。チ
ハヤが来た時以上の良い食材が手に入れられる程までになったのである。
 仲良くなるきっかけは、彼女の所でとれた酪農品を差し入れされた時だった。あまり良
い食材に恵まれなかった昨今だというのに、随分と傑作なデキの卵で、簡単にオムレツを
作ってみたが食材の良さが味に出る程だった。
 それから、料理を習いたいという彼女に料理を教えはじめたりして、どんどん仲良くな
っていった。
 赤みがかった茶色い髪の毛。おっとりとした瞳と表情。お日様のような朗らかな笑顔で
よく笑って、明るくて、マイペースで、お人好しで。
 自分が深みにはまっていると気づいたのは、つい最近の事だったと思う。
 他の男と楽しそうに話している彼女が気に入らない。そんな小さな事でムカムカする自
分自身も嫌だった。明るくてお人好しなものだから、老若男女問わず友達も多くて、チハ
ヤは自分もその中の一人だと自覚しつつも、それも嫌だった。
 …しかし、彼女がメイド服を? ……シーラの言うとおり作業着ばかり好んで着ている
ので、新鮮さには期待が持てそうだが…。

「はーい。ご注文のメイド服を仕入れてきたわよー」
 仕立屋の娘のルーミが、ツインテールの髪を揺らしながら、メイド服をこの酒場にまで
納めにきた。
「あ、サンキュ。案外早く届くもんなんだね」
 キャシーは開店前の掃除を中断して、顔をあげて彼女を出迎える。チハヤも相変わらず
厨房で料理の仕込みの最中で、一瞬だけ店先に顔をあげたのみで仕込みの手を止める事は
なかった。
「ふふっ。実は今度のつごもり祭で売れるかなって、目をつけてたのよね。今回の企画が
成功してくれれば、こっちも売り上げ良くなるかもしれないじゃない? 仕立屋フルート
としても応援させていただくわよー」
 商売人としてしっかりしているルーミはそう言って、両手を組み合わせる。
「というわけで、お値段はちょっとだけどフレンドリー価格にしといたわ。是非是非、企
画を成功させてほしいわ!」
「あらー」
 キャシーは請求書をルーミから受け取って、少し驚いた声を出した。どうやら、思った
よりもだいぶフレンドリーな価格にしてくれたらしい。それだけ、ルーミが今回の企画に
期待してると言う事であろう。
「はい、サイズとか確認してね。一応Lサイズが2つと、Mサイズ2つ持ってきたわ」
「ありがとありがと。そいじゃー後で衣装合わせとかしないとねー」
「それなら、衣装合わせ手伝ってあげましょうか?」
 確かに着付けの段階にルーミがいてくれれば心強いだろう。
「うん、ありがとう。でも、みんなの時間とルーミの空いてる時間とで合うかもわからな
いから。時間がもし合った場合はお願いするかもしれないけど、無理しなくていいよ」
「そう…」
 まあ、ルーミとて本来の仕立屋としての仕事もあるわけだし、それを蔑ろにしてまで付
き合う事でもないだろう。
「ともかく、ありがとう。何かあったらまた連絡するよ」
「あ、はい。それじゃ、またよろしくお願いしまーす」
 ルーミは営業スマイルよろしくにこっと微笑んで、手を振りながらアルモニカを後にす
る。キャシーは早速届いたばかりのメイド服を広げてみた。
「へえ…。けっこうちゃらちゃらしたデザインなんだなぁ…」
 自分で企画しておいて何を言ってるんだろうとチハヤは黙ったまま、下ごしらえを続け
ている。
「ははー。どうチハヤ? 似合う?」
 キャシーはメイド服を軽く自分の前に当てて見せて、厨房にこもっているチハヤに声を
かけた。彼はちょっと顔をあげて、相変わらずの無愛想さで小さく息をつく。
「…どうって…別に……。…まあ、いつもと雰囲気変わるんじゃない?」
「相変わらずだなー。メイド喫茶ってさ、男に人気なんでしょ? あんた男としてなんか
感想ないの?」
「だから、一部の特殊嗜好の人向けものなんだってば。マスコミが取り上げて大騒ぎして
るだけでさー」
「ふーん…。ま、いいや。とにかくヒカリにも連絡とってみなきゃね」
 チハヤのシニカルな意見にもう慣れてしまっているようで、キャシーは特に気にしたふ
うもなく、衣装を机の上に置いて酒場のすみっこに設置してある電話まで小走りした。
 女の子同士は気軽に電話している。…こっちなんか何かちゃんとした理由がないと、彼
女に電話かけてはいけないと自分で自律してるのに……。
「あー。ヒカリ? アタシ。あのね、前に話したじゃない。メイド喫茶のこと。…そうそ
う、それでね、服が届いたのよ。衣装合わせしたいからさ、空いてる日はある?」
 下ごしらえする手を止めて、チハヤはこっそり彼女達の会話に聞き耳をたてる。
「……うん、……うん、そっか。うん、それじゃね、えーと……木曜日にどうかな? う
ん……うん、いいね。うん、……あっははは、そうそう!」
 何を話しているか知らないが、キャシーは受話器を握って一人ではしゃいでるように見
えた。
 …しかし、木曜日か……。酒場には毎日来てるし、いつもより早めに酒場に来ようか…
…いやいやその日だけでというのは怪しまれてしまうか…。じゃあ、怪しまれないように
は、その日の前から下準備に時間のかかる料理をレパートリーにいれるとか? いやいや
それよりも、キャシーの企画に合わせるなら、その日に出す料理やお菓子の準備という名
目ならば怪しまれないかも……。
 完全に下準備の手を止めて、チハヤは包丁を手にしたまま自分の思考に陥っている。
 キャシーが企画したメイド喫茶はあまりいかがわしいものにしたくない、との事でいつ
もなら休みになるサーカスが来る日にお昼から、サーカスが始まる三時までにやってみよ
う、という事になったのだ。それなら家族連れが興味本位で来るかもしれないし、ランチ
を中心にすれば普通にご飯を食べる場所にもなる。
 メイド喫茶なるものをキャシーよりよく知るチハヤは、もはやメイド喫茶の趣旨など知
った事ではないような企画に、多少のいつもの皮肉思考がもたげたものの、確かにサーカ
スの日にランチを提供する場というのは悪くないと思った。つまり、いつもの客層が少し
変わって給仕の制服が変わるだけで、普段の仕事とやってる事はそんなに変わらない。
 まあ、無理のない範囲で、となるとそうなるのも頷けるのだが。
「うん…、うん……。じゃあ、木曜日の午後一時にね。忙しいのにごめんね。……はは、
うん、じゃあねー」
 木曜日…、午後一時…。……自分が来るにしては早い時間だろう。……その時間に怪し
まれずに来る方法は……。
 当日は忙しくてじっくり彼女を見る時間はなさそうだし、そちらの方がチャンスだろう。
「ふう」
 軽く息をついて、キャシーは受話器を置く。チハヤは何も無かったかのようにまた包丁
を動かし始める。さて、どんな理由をつけて早く来ようか……。
「…キャシー」
「うん?」
 チハヤは閉じていた口を開いて、ぼんやりと壁にかけられたカレンダーを眺めるキャシ
ーに声をかける。
「そのメイド喫茶の日ってさ、ようはほとんどがランチメニューとお菓子に変わるんだ
ろ? いつも出してる料理を変えた方が良い?」
「あ、そうだよねー。そんだったらランチセットとかにしちゃう? その方があんたも用
意するの楽じゃない?」
「…そうだね。3種類くらいのセットメニューしちゃって……、ケーキセットも作ったり
する?」
「あ、いいねいいね。メニューとかについてはあんたに任せちゃって良い?」
 ハーパーもキャシーも料理上手だし、その彼らがチハヤを認めてくれているのは彼自身
も嬉しい事実だし、だからこそここで腕を振るっている。
「じゃ、僕が全部メニューとか決めちゃうけど…」
「うん、じゃあお願いするよ。決まったら教えてね。看板とか用意しないといけないし、
値段も考えないといけないしね」
「わかった」
 となると無理のない範囲で作れるものを準備しなくちゃいけないだろう。チハヤは小さ
く息をついて、料理のレパートリーを頭にざっと並べる。
 …ともかく、これでその日に早めに来ても怪しまれない理由もできたわけだ……。


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