穏やかな昼下がり。この国では短い時期の事だが、今日みたいな気候の日がある。柔ら
かな陽光が窓から降り注ぎ、室内をぽかぽかと暖めている。
 昼食を子どもたちと一緒にとった後、後片付けをメイド達に任せ、ネルは少し古臭いソ
ファに身をしずめる。
 先程、家庭教師が見えたので、子どもたちは多少ゲンナリとした顔をしながらも授業を
受けている。今日の先生は宿題が多いのであまり好きではないようだ。
 宿題の多さが子ども達には受けがよくないらしいが、授業内容はどうもかなり良いよう
なので、教師の指導内容に口出しするつもりはない。
 メイド達は昼食の後片付けに掃除にと勤しんでいる。屋敷の広さに対してメイドの数が
少ないので、ネルも主の妻という身の上でも家事を手伝う羽目に陥っている。
 別に家事は嫌いでもないので、構わないのだが、メイド達は女主人との距離のとりかた
に戸惑いがあるようだ。最近は慣れてきたとはいえ、はじめの頃はネルが家事をやる事に
目を丸くしていた。
 掃除をしなければな、と思いつつも日差しが気持ち良くて、寝転がったソファから動き
たくない。自分に厳しいネルだが、たまにこういう日もある。
 ちょっとだけ。もうちょっとだけ休んだら起き上がろう。
「ふう…」
 寝返りをうって、ネルは小さく嘆息する。
 今日の昼食はあのメイドが得意とする料理で、本当に美味しかった。負けてられないな
と思いつつも、美味しかった。
 美味しい料理を腹に詰め込み、少し古ぼけたソファのどこかなつかしい匂いと、調度良
い柔らかさ。それに穏やかで暖かい日差し。このどこまでもうららかな陽気に誘われるが
ままに、ネルはゆったりとまどろんでいった。

「帰ったぞー」
 うまやにドラゴンを入れて、アルベルは屋敷の裏口からのそのそと入って来た。
 もちろん、表玄関というものはこの屋敷に存在するが、ドラゴンをつないでからわざわ
ざそっちの方に回るというそんな面倒くさい事は、この屋敷の主はやらない。
「あ、お帰りなさいませ!」
「ああ」
 掃除中のメイドがアルベルに気づき、頭を下げる。本来なら、主人が帰ってきたなら表
玄関まで迎えにあがらなければならないだろうに、主人はそういう事にも頓着しない。彼
はやや無愛想に頷いてから、きょろきょろと屋敷内の気配を伺う。
「奥様は居間にいらっしゃると思いますよ。それと、今の時間は家庭教師の先生がいらっ
しゃっている時間で…」
「ああ、そうか」
 彼が家族を捜しているのを察し、メイドがそう言うと、アルベルは合点がいったようで、
先程よりかは素っ気なさが減った様子で頷いた。
 忙しい時はどうしようもなく忙しいが、今日みたいにおそろしくヒマな時もある。いつ
までも城でうだっていても仕方がないので、今日はさっさと帰らせてもらった。
 いつも、自分が帰る時間帯ではないので、メイドも驚いたようだし、妻もまさかこんな
時間に帰ってくるとは思っていないのだろう。
 肩にかけている、襟元を白い羽根で縁取られた、漆黒のマントを無造作に脱ぎ、メイド
に預けると、アルベルは軍服のまま居間に向かう。
「おい……」
 居間のドアを開けて、アルベルは妻の姿を捜す。広い居間だが、人一人が見つけられな
くなるほど、別に広大なわけではない。
 返事がない事を訝しんで、部屋の中央に移動しながら、室内を見回してみると、妻はい
た。
 心地よい陽気に眠気を誘われたか、ソファに寝転がり、穏やかな寝息をたてている。
 妻を見つけた安堵感と、その呑気な様子に、アルベルは苦笑混じりのため息をもらした。
「ん…」
 家事に育児に自己鍛練にその他諸々と忙しい彼女である。隠密時代も自分の時間を削っ
て生真面目に仕事をしてきた彼女にとって、忙しい事が日課であるようだが、それでも流
れる時間は随分ゆるやかになったのではないだろうか。
 アルベルは何か、彼女にかけてやるものはないかと、周囲を見回す。生憎、自分のマン
トはメイドに預けたばかりである。
 子どもたちもソファでよく寝こけるので、そのためのショールが一人用のソファにかけ
られている事を思い出し、それを手に取る。
 早速、彼女の上にかけてやろうと近づくと、少しネルが身じろいだ。
「ん……アルベ…ル…」
 自分の名前を呼びながら、ネルが寝言をもらす。あまり妻の寝言というのは聞かないの
だが、疲れているとたまにやる。彼女も疲れていると知ると、アルベルはふっと息をつい
て、静かにショールをかけてやる。
 しかし、彼女の夢の中で自分は何をしているのだろうか。すぐに立ち去るつもりだった
のだが、気になったのでしばらく観察してみる事にした。
「……んふ……、ダメよ……」
 彼女は何か良い夢でも見ているのだろうか。にこやか、というよりもにやけながら、ご
ろりと寝返りをうつ。
「…ふふ…もう…。……こどもに…見られたらどうするの……」
 なにやら甘い声を出しながら、ネルはあやしげな笑みを浮かべて寝ている。
 面白いので、アルベルは寝言をつぶやく妻をそのまま観察を続けた。
「…やぁだ……アハ……んもう…あんたっていつも……フフ…だめよ…」
 くすくすと笑いながら、夢の中のネルは幸せそうである。顔がうつむくと、その拍子に
口の端からよだれまでたれてきて、油断しきっている。これでも昔は、隣国シーハーツで
クリムゾンブレイドと呼ばれ、近隣諸国からも恐れられた存在の隠密だったのだが。
 そんな情けない姿のネルでさえ可愛い、と思っている自分もアレだなとか思いながらも、
アルベルは妻の寝顔を見つめる。
「んん…もう…」
 彼女はひどく幸せそうな顔で、大きく寝返りをうとうとして…。
 ごたっ!
「んにゃっ!」
 ソファから落っこちた。
「あー……たた…。やだ、寝ちゃった…。…よだれまで! ああもうみっともなー…」
 寝ぼけてソファから落ちた上に、よだれがたれて来た事に気づき、ネルは慌てて口元を
ぬぐって、それからやっと、今までずっと自分を観察していた夫に気が付いた。
 先程までの幸せそうな表情はどこへやら。ギョッとした顔を浮かべて、アルベルを凝視
した。
「なっ! …なんで、あんた、ここにいんのッ…!?」
「……今日はヒマだったんでな。さっさと仕事を切り上げて戻ってきた」
「も…戻ってきたって……、……ま、まさか…今の…見てた…!?」
 激しくうろたえる妻の姿がおかしくて仕方がないのだが、根が意地悪なアルベルは、や
はり意地の悪そうな笑みを浮かべて頷いた。
「……!」
「何の夢を見てたんだぁ? 随分と幸せそうだったじゃねえか」
「う、うるさい! 帰って来たんならさっさと起こせば良いだろう!」
 恥ずかしさから、ネルは怒り出してしまったが、アルベルは意地悪な笑いが止まらない。
「いやまあ、おまえがあんまりにも気持ち良さそうに眠ってるんでな。親切心をおこして、
寝かせておいてやっただけだ」
「なにが親切心だ! 人が寝ぼけてるの見てて何が楽しいんだい!」
「楽しそうな夢を見てたらしいけどよ、どんな夢だったんだよ?」
「う、うるさいったら! あんたのせいで全部忘れたよ!」
「ここじゃダメだとか、なんとか。何がダメだったんだよ」
「うるさい!」
 顔を真っ赤にして、ネルはアルベルにつかみかかるが、彼は笑ってまるで相手にしない。
「くっははは…。何が駄目だってんだーおまえ?」
「んもー!」
 つかみかかられて、そのままネルを抱き締めると彼女の抵抗がかなり弱くなる。
 けれど。
 ごすっ!
「んぐっ!」
 抱き締められると弱いとはいえ、恥ずかしかったのも事実だ。ネルはアルベルの腹にパ
ンチをたたき込んで笑う彼を黙らせる。
「……っおま…、ちったぁ…加減しろよ…」
 腹をおさえて前かがみになるアルベルを、未だ顔を赤らめたまま睨みつけるネル。
「うるさいよ。悪趣味なんだから」
 顔が赤いのが直らないまま、ネルはすたすたとその場を立ち去る。
「早く部屋に行って着替えてきな。家の中まで軍服じゃ落ち着かないよ。それと、おやつ
は3時からだからね。手洗いとうがいを済ませておくんだよ」
 くるりと振り返って、まだちょっと赤い顔でそう言うと、またすたすたと歩きだす。そ
のまま居間を出て行くと思いきや、不意に立ち止まった。
「あと、それから!」
 ぐるんと体ごと振り返って一端こちらを向くと、小走りに駆け寄ってきた。何事かと思
っていると、彼女は軽く背伸びをしてアルベルの顔をぐっとつかまえて引き寄せると、い
つもよりも強引に唇に口付ける。
「……おかえり…」
 ゆっくりと唇が離れた後、目を丸くしているアルベルに照れた目を上目使いでよこして、
そしてまた小走りで居間から立ち去ってしまった。
「…………………おう…」
 茫然としたように小さく返事をしたが、妻はすでにここを立ち去った後である。しばら
く突っ立っていたが、後ろ首あたりをぽりぽりと掻いて、小さく息を吐き出した。
 そして、下に落ちてしまったショールに気づいて、拾い上げるとソファの上に軽くかけ
る。そのショールを眺めていたアルベルだが、小さく苦笑するとなんだか機嫌が良さそう
に、彼もこの居間を後にした。

                                                                        おわり。































ちょっとした小話です。バイオレンスにするつもりは無かったんですけど、書いてるうち
にちょっぴり入ってしまいました。
アルベルが素直に笑ってるところがありえない感じですが、こう、色々あって、性格が変
わったっつー事で。
パラレルなんで、裏に置こうと思ったんですが、パラレルなだけなので表にのっける事に
しました。私にしては珍しく短めの話になったー。