「うわぁーっ! カワイイー!」
 ゆりかごの中で眠る赤ん坊を見て、ソフィアは頬に両手をあてて喚声をあげた。
「どれくらいになるの?」
「そろそろ2カ月かな?」
 マリアも、聞いていたとはいえ、いざ目の前にいると驚きを隠せないらしく。近くにい
るネルに尋ねている。
「あの、あの、抱かせてもらって良いですか?」
「アタシもアタシも!」
 興奮状態のソフィアと、大喜びのスフレが手をあげてぴょこぴょこはねた。
「いいよ」
 ネルは笑いながら赤ん坊を抱き上げ、そっとソフィアに手渡す。手渡されたソフィアは
緊張の手つきながらも、意外にずっしりとくる赤ん坊をしっかりと抱き締めた。
「うわあ…。なんか、ミルクの匂いがしますね…」
「赤ん坊だもの。当たり前だよ」
 小さな唇から、ぷんとただよってくる匂いに、ソフィアがそう言うと、ネルは苦笑した。
「ほー。アドレーのおっさんを突然どつきだして、何事かと思ったら。こういう事だった
んだな」
 にやにや笑いながら、クリフはいつもよりもさらに仏頂面のアルベルに話しかける。ア
ルベルは非情に苦々しい顔付きで無視するが。
 日当たりの良い部屋で、数人のメイドに世話をされながら、赤ん坊はすやすやと眠って
いた。今まで静かだった部屋が大量に人が増えてうるさくなっても、起きることもぐずる
こともせず、赤ん坊は幸せそうに眠りこけている。
「マリアも抱いてみるかい?」
「え!? わ、わたしも!?」
 普段あまり驚いたりしないマリアだが、突然ネルにそんな事を言われて戸惑った。今ま
で赤ん坊に接した事などほとんどなくて。マリアは戸惑いを隠せない。
「こんなに小さいのに、ちゃんと爪とかついてるね」
「そうだね」
 ソフィアの次に抱かせてもらったスフレが、自分を包む布をつかむ、その小さな手を眺
めながら赤ん坊を観察する。
「ほら」
「わ、わ…」
 そして、スフレからマリアにネルが赤ん坊を静かに渡すと、マリアはおぼつかない手つ
きで赤ん坊を抱き上げた。
「う、うわ…」
 マリアの戸惑った顔などそう見れる事ではないが。彼女は緊張の面持ちで、自分の手に
いる小さな命を見やる。
「け、けっこう重いのね、赤ん坊って」
「そうだね」
 鍛えているので重たい物を持つ事にそう抵抗はないが、見た印象と実際に持った感覚は
なかなか違うもので。
 女達に取り囲まれる赤ん坊を、男性陣はやや遠巻きに眺めていたが。
「どれ、次はワシにも抱かせてもらおうかの」
 おそらく、順番を待っていたのだろう。アドレーが鷹揚にネル達に歩み寄った。
「ネル。わしにも抱かせてくれ」
「あ、はい」
 ミラージュ、クレアと次々に人の手に抱かれて、さすがの赤ん坊も目を覚ました。あど
けない目付きで、自分を取り囲む面々をながめたりしている。
「おうおう、ほんにめんこいのう。なんじゃ、クレアの小さい頃を思い出すわい」
 相変わらずのアドレーだが、可愛い赤ん坊をその手に抱くと、目を細め、軽く赤ん坊を
あやしはじめた。
「ほれ、クレアも。そろそろわしに孫を抱かせてくれ」
「そ、そのうちに…」
 こうなるとクレアの立場は弱くなるもので、アドレーの言葉に視線をそらして、とりあ
えず適当な事を言う。
「じゃ、そろそろ俺の番かな」
 さっきから終始仏頂面のアルベルをにやけた横目で見やって、クリフも赤ん坊に近づく。
アドレー、ロジャーと代わり、今はフェイトが抱いていた。
「なんか…不思議な感じですね。ネルさんとアルベルの赤ちゃんって」
 フェイトもマリアと似た戸惑いの表情を見せ、腕の中のを赤ん坊を見やる。赤ん坊はど
ことなくフェイトを見つめていて、目があったフェイトは思わず顔を赤らめた。
「どことなーく、ネルちゃんに似ているかもねー」
 ぷよぷよとした鼻を指でつついて、スフレは赤ん坊をのぞきこんでいる。
「どっちかっていうと、私の父さんに似てると思うんだけどね」
 ネルは優しい目付きで赤ん坊を見つめた。父親が生きていたら、孫の誕生を絶対喜んで
くれただろう。アドレーではないが、その手で自分達の子供を抱いてもらいたかった。
「そうじゃのう。顔付きがなんとなく、ネーベルに似とるかもしれんのう」
 アドレーも上の方からのぞきこんで、相槌をうつ。
「けど、赤ん坊というのは、急に父方に似たり、母方に似たりするからのう。もう少し成
長してみんことには、なんとも言えんじゃろう」
「ふーん。そうなんだ…」
 今度はほっぺをつんつんつついて、スフレは赤ん坊をゆったりとした笑顔でながめた。
「次は俺の番だろ。抱かせてくれ」
「ん? いいですよね?」
「いいよ」
 クリフがやって来たので、フェイトはネルが頷くのを確かめて、クリフに赤ん坊を手渡
した。
「へぇ。こいつがおまえらのねぇ…」
 言葉はあまり良くはなかったが。クリフの顔付きは優しかったし、口調も穏やかだった。
「人間、なにがどうなるかわかったもんじゃねえな」
「やかましい」
 笑った顔でアルベルを見やると、アルベルは相変わらず苦々しい。
「クリフちゃんは赤ちゃん作らないのー?」
「ぶふっ!」
 スフレが何げない口調でとんでもない事を言ったものだから。クリフは急に慌て出した。
「ま、まあ、そのうち…な…」
 クレアと似たようなごまかしの言葉を口にして。ほんの一瞬だけミラージュを見やった。
珍しい事だが、ミラージュは少しだけ照れて視線をそらす。そんなちょっとしたやりとり
に気づいたのは、マリアだけだったようだが。
「けど、クリフさんに抱かれると、やっぱり赤ちゃん小さく見えますね」
 後の人に赤ん坊を譲るため、ソフィアは少し離れたところにいたのだが。視線はずっと
赤ん坊にいったままだ。
「んー? そうか?」
 クリフそんな事を言われて、赤ん坊を見下ろした。赤ん坊は相変わらずどこを見ている
かわからない目付きで。おとなしくクリフに抱かれていた。
「随分とおとなしいな。みんなに抱かれてもあんまりぐずったりしねえんだな」
「この子はね」
 もう、ネルはすっかり母親の口調になっていて。クリフも小さく顔に笑みを浮かべる。
そして、ちょっとしたいたずらを思いついて。
「それじゃ、こいつは返すぜ。……おおっとぉ!」
 ネルに赤ん坊を返す時、赤ん坊を取り落としそうなまね事をしてしまった。
「…なんてな」
 小さな悲鳴が取り囲もうとした時、クリフはにやけた顔で赤ん坊をしっかり抱いていた。
 がごすっ。
 ぴったり息の合った、文字通りのダブルパンチを両親からくらっても、彼は赤ん坊を取
り落とす事などしなかったが。
「んだよ! そんな事するわけねーだろ!」
「やかましい」
 クリフから赤ん坊を奪い取り、アルベルは低い声で彼を睨みつけた。
「ったく…」
 前髪をかきあげて、ネルも苦い顔付きになる。相変わらずのやりとりに周囲は笑い出し
た。まったく和やかな午後である。
 次々と人の手に抱かれて疲れたのか、父親の腕に戻って安心したのか。赤ん坊はゆっく
りとまどろみはじめる。
「あ、寝ちゃった…」
「フン…」
 アルベルの顔付きは長い前髪で少しわかりにくかったが。まとう雰囲気が、戦闘時の凶
悪さとあまりに掛け離れていた。
 そっとゆりかごに寝かせる手つきが優しくて。戦闘時の凶悪さを知る人々は、思わず彼
に見入ってしまった。
「人間…変われば変わるもんなんだな…」
「なにが言いてえ?」
 しみじみとしたクリフの口調に、アルベルは殺気をじわりとにじませる。それぞれ言い
たい事はクリフのそれに集約していたが、口にしたのは彼だけだった。
「みなさま、お茶の準備が整いました。どうぞ、食堂にお集まり下さい」
 そんな時、ノックの音がして、メイドがお茶の時間を告げに来た。それぞれがみんな顔
を見合わせる。
「それじゃ、頼んだよ」
「はい」
 ぞろぞろとみんなが部屋を出て行く中、ネルはメイドに赤ん坊の世話を頼んだ。今日ば
かりは、さすがにみんなとの時間を先にしたい。
「そういえば、アーリグリフでお茶の席ってのは初めてだな」
「そうですね」
「アーリグリフ名物の茶でも出してくれるんかのう?」
「そんなのあるの?」
「ん? お嬢ちゃんは知らんかったか? 寒い地方に生息する、うまい茶っぱがあるんじ
ゃよ」
「アーリグリフといえば、ジャムマフィンってぇヤツが有名なんだっけか?」
「よく知ってたね、ロジャー」
「まーね! おねいさま。男たるもの、モノシリでなきあなあ!」
「そんなに美味しいなら、あとでレシピ教えてもらおうかな…」
「例の一件、国王に話しておいたけど、あんまり納得いった感じじゃなかったわ」
「そりゃそうだろうが、俺の報告よりもマシだったろうよ」
 食堂にメイドに案内されながら、みんなは和やかに会話しながら歩く。
 こんな穏やかな気持ちでアーリグリフを訪れる事になるなど、あのときは想像もつかな
かったけれど。
 フェイトはそれぞれみんなの顔を一人ずつながめた。おそらく、このエリクール2号星
に降り立つのは今日で最後だろう。
 ただでさえ、みんな忙しいのに、中央政府が樹立しつつあるこのごろ。今はまだ少しあ
やふやだが、未開惑星保護条約がしっかり適用されるのはそろそろだ。
 エリクール2号星の文明レベルがいつになったら、こちらに追いつくのかわからないが。
少なくとも十年、二十年くらいでは足りはしないだろう。
 今日が最後だなんて、悲しい事を口にする気にはなれなかったけれど、みんなそれぞれ
そんな空気を感じ取っているようだった。
 自分たちがしてきた事は正しかったのか、間違っていたのか。それを判断する術はフェ
イトにはなかったけど。
 この仲間達に出会えた事は、素直に感謝したかった。

                                                                         END






























オマケです。
個人的にアーリグリフってロシアな印象が強いです。寒いとか、軍事国家だとか。ロシア
ンティーって美味しいんでしょうか。ジャム入れるアレ。缶ジュースで飲んだ時は正直言
って、もういらないと言える味でしたが、本物は違うんでしょうか。