「………あがったよ…」
 顔が赤いのは風呂の後だからなのか、怒っているからなのか、それともまた別の何かな
のか。ネルは顔を赤らめながら、不機嫌そうに部屋の椅子に座っているアルベルに声をか
ける。
「ああ…」
 アルベルも不機嫌そうだった。端整な顔の真ん中に拳の跡がついているなど、はなはだ
みっともない姿をしているからだけではなさそうだ。
 それでも汗は流したいから。アルベルは立ち上がって、浴室へと入って行く。
「っとに…! ノックもしないんだから、あの馬鹿は!」
 ネルはタオルで濡れた髪を拭きながら、ぶつぶつつぶやいている。アルベルほど順応性
が低いからなのか。ネルは未だディプロやジェミティの施設に慣れなくて、浴室の鍵の掛
け方も使いこなせていなかった。
「……………」
 ネルはタオルを動かす手を止めて、宙を見つめる。そして、ため息をついた。
 どういうわけだかよくわからないが、ため息しか出てこない。
 さっきからイライラする気分が直らないのだ。どうしてなのか自分でもわからなくて、
この苛立つ気分を持て余している。
 いつくらいから、この気持が続いているか記憶をたどってみる。
 そうだ。闘技場での事が原因だろう。あのときケンカをしたから。それを引きずってい
るのだろう。しかし、そう結論づけても、この苛立ちは直らない。
 ずっと考えてみるが、気が立っているので、思考もなかなかまとまらない。そうこうし
てるうちに、アルベルはシャワーを浴び終えたようだった。
「ふう…」
 自動扉を開いて、やはり髪を濡らしたアルベルが浴室から出てくる。ネルは彼を見たが、
彼は視線をあわせようともしないで、ドライヤーを取り出している。
 彼の方があの文化を使いこなしている(ように見える)のが、妙に癪だった。長い髪だ
から、ドライヤーは彼にとってかなり便利なものらしい。
 二人とも無言で、ドライヤーの音だけが、部屋に響いている。
 カチリ。
 アルベルはドライヤーのスイッチを切る。
 まだ半乾きだが、やはりドライヤーに慣れきっていない彼には、この熱風が気持ち悪い
のだ。
 風呂上がりのアルベルは、ズボンに上着を羽織っただけで。女の自分よりも色気がある
というのは、どういうことだろうと、思ったりするのだが。
 半乾きの髪の毛をかきあげながら、アルベルは冷蔵庫まで移動する。
 ネルの国にも施術を使って、食物を冷たい部屋で保存させる方法があるにはあるが。こ
のように小さな箱の中に、いつも冷気を充満させられるような技術はまだない。
 酒でも取り出すのかと思ったが、アルベルは何故かスイカバーを取り出して、食べ始め
ている。
「…ねえ…」
「ん? スイカバーならもうねえぞ」
「そうじゃなくて!」
 ついつい声が荒くなる。
「ったく、何を言おうとしたか忘れちまったじゃないか!」
「俺に文句言われてもな」
 それはそうなのだが、悪態をつかずにはいられなかった。さっきは一体何を言おうとし
たのか。すっかり思い出せなくなっていた。
 このもやもやした気分の原因についてではなかっただろうか。けど、なにをどう言葉に
して言うつもりだったのか、思い出せない。
 ネルはため息をついて、スイカバーを食べて、なんだか機嫌がよさそうに見えるアルベ
ルを見た。風呂上がりに冷たいものを食べるという、贅沢な行動は確かに賛成したくなる
くらいに良い気分ではあるが。
「おい」
 アルベルが、スイカバーの棒をゴミ箱に投げ捨てながら、話しかけてくる。
「何だい」
「昼間。何だって俺ごと攻撃したんだよ」
「それかい。しつこい男だね。根に持ってんのかい」
「腹立つだろうが。普通に!」
「ずっと言ってるじゃないか。混乱したあんたを治すためだって。混乱させられる程、油
断したあんたが悪いんだ」
「……油断した事は認める」
 解説達のつけた通称が激しく気に入らなくて、ムカついて油断した自覚はある。そのス
キをつかれて混乱させられた自分が悪いのも認める。認めるが。
「だからって本気であんな大技をぶっ放すな。混乱を治す施術はソフィアが使えるっての
によ。施術については、俺よりてめえの方がくわしいんじゃなかったのか?」
「ハン。混乱させられるような馬鹿に灸をすえただけさ」
「気に食わねえ女だな。てめえだってまったく油断しねえなんてできんのかよ」
「少なくとも。あんたよりできるつもりだよ」
 目を半開きにして、ネルはアルベルを見やる。彼は不機嫌そうにこちらを睨みつけてい
る。
「フン…」
 アルベルは鼻を鳴らした。そして、ゆらりと立ち上がるとこちらに近付いてくる。それ
が少し異様な感じがして、ネルは身をこわばらせる。
「な、なんだい…」
「おい、今晩つきあえ」
「は?」
 思わず、間の抜けた声をあげる。戸惑っているうちにひょいと抱き上げられてベッドに
押し付けられる。
「な、なにするんだい! さっき気に食わないとか言ってたくせして!」
「確かに言った。だがそれがどうした」
「やめっ…! なんでそんな女に手をだしてくるのさ!」
「うるせえ。それとこれとはまた別だ」
 真っ正面から力でこられては、ネルはアルベルにかなわない。
「だ、大体、なんでっ…! こんなこと…」
「うるせえな。昼間のケバイ女の感触がまだ残っててムカつくんだよ。口直しだ」
 あの闘技場での、妖艶な美女の顔が脳裏に浮かぶ。ネルは一瞬で激しい怒りを覚えた。
のしかかってくるアルベルを力づくで押し戻した。
「なっ! 冗談じゃない! 何で私があんな女の口直しにされなきゃなんないんだ!」
「…………何でそんなに怒る」
 アルベルは時々、激しくマヌケに見える。普段ぞんざいな口を聞き、その端正な顔立ち
をしているためそのギャップは激しい。
「当たり前だろう! 私は売女でも何でもない! あんたの慰み者でもない! そりゃ…、
…そりゃ確かにあんたと何回か関係したけど、だからってあんたの都合の良い解釈されち
ゃたまったもんじゃないんだ!」
 ネルは本気で怒った。本気で怒っているのに。この男ときたらきょとんとした顔をして
いやがる。
 どうして…。
 どうしてそこで考えこむんだ、この男は。
 ネルは目眩がしてきた。なんでこんな男に肌を許したのか思い出せなくなっていた。
 アルベルと関係したのはそう昔の事ではない。あれだけ憎み、嫌っていた男と関係する
など、彼が仲間になった頃のネルにしては、まったく考えられない事だった。
 彼と初めて関係したのはここと同じ、ディプロでの事だった。
 ああなった行程を思いだしていると、再びアルベルがのしかかってくるではないか。
「ちょ、やめな! そんなに欲求不満なら他をあたりな!」
「ごめんだな」
 殴ろうと拳をふるったが、その手をつかまれてしまった。
「私は、そんなに都合の良い女なのかい!」
「そうだったらもっと楽だったろうがな」
「もう…わけがわかんな…」
「うるせえ。だまれ…」
 低い声がすぐ近くで聞こえる。抵抗しているのにおさえつけられて、唇を奪われた。
 スイカバーの味がしたのが何とも情けなかった。
 というか、気力が抜けた。
 ネルは唇が離れた途端、深いため息をついた。
「…そんなに嫌か…?」
「情けなくなったんだよ! ったく…! あんたってなんでそう自分勝手なんだか…」
「しょうがねえだろ。こうなっちまうとなかなかおさえが効かねえんだ」
 本当のところ、先程ネルの裸体を見て、昼間の感触を思いだし、感情の歯止めがきかな
くなってきているのだ。我慢しようと思ったが、一晩同じ部屋で過ごす事を考えると我慢
しきれそうにない。
「こうって…どうなのさ…」
「言わせる気か?」
「いい…。聞きたくない…」
 どうなのか見当がついて、ネルは首をふる。
「ああ…もう、なんだってあんたはそんなに助平なんだい」
 肌を許してからというもの、アルベルはわりとネルを要求してくる。殴れば大体あきら
めるのだが、今回みたいにこんなに強引なのは初めてだ。
「男なんてみんなそんなもんだぞ」
「そうかい?」
 ネルの脳裏に父親の顔や、フェイトの顔が浮かんだ。父親は真面目一徹な人だったし、
フェイトだって爽やかそうな雰囲気ではないか。
 彼女はほんの少しだけ、彼に恋慕していたのを認めている。ソフィアと彼を見て、その
想いは心の中で儚く散っていくのを感じたが。
「……他の男の事を考えんなよ……」
 不機嫌そうなアルベルの瞳と視線があった。
 もしかして、この男、嫉妬しているのだろうか。そう思うと少しおかしくなった。
「父親でも?」
「駄目だな」
 アルベルの唇がうなじに移動すると、この部屋の天井が見えた。
「あんたさ…、男に押し倒される気持、考えた事ある?」
 ため息混じりにネルがそう言うと、アルベルはさらに不機嫌そうな顔でこちらを見た。
「嫌な事を思い出させんなよ」
「なに言って…………ええ!?」
 しまった。アルベルの顔がそう言っていた。
「あんた、そんな事された事あったんだ。で…、そ、それで、どうなったの…?」
 うんざりげな態度をしていたネルが、俄然瞳を輝かせ、興味津々に聞いてきて、アルベ
ルは心底嫌そうな顔になる。
「言いたくねえし、思いだしたくもねえよ」
「でも、気になるじゃないか…」
 今度はアルベルの方が深いため息をついた。
「あのなあ。なんでこれからって時に、気色の悪い思い出なんぞ語らなきゃいけねーんだ。
冗談じゃねえ」
「気色悪いって、あんたが普段あんな格好してるからじゃないのかい?」
「うるせえ! 服装は関係ねえよ。あん時はあの格好はしてなかったしよ。ていうか黙れ! 
萎える!」
「いいじゃないか。頭も冷やせて」
「よくねえ!」
「でさ、あんたそれでどうしたの?」
 アルベルは顔に手のひらをあてて、またため息をついた。
「けり飛ばしたよ。もういいだろ?」
「ねえ、それっていつ頃の話?」
「いい加減にしてくれ」
「でも…。気になるし…。言いふらさないからさ、教えてよ」
「知ってどうする! っていうか言いふらすつもりだったのかてめえ」
「そんなつもりはないけどさ。その…気になるんだよ…」
 ネルの瞳に見つめられ、アルベルは口をへの字に曲げて。
 そのへんの女なら絶対に言いやしないのだが。この女に見つめられるとどうにも弱い。
しかも、普段見せないような顔付きをしていやがると、何とも言えない気持になる。
「ありゃ、13、4の時だったかな…。軍隊なんて男だらけだからな。…シーハーツの方
は知らんけどな。父親の目が離れたスキに、俺に襲いかかってきたヤツがいやがったんだ。
男だらけの軍隊じゃあ、そういう事はそう珍しい事でもねえんだが…、俺はそのケはねえ。
野郎なんて冗談じゃねえよ」
 ため息をつきながら、かなり思い出したくもない思い出をぼつぼつと語る。ネルは身を
起こし、彼を見つめた。
 改めて、ネルはアルベルの顔をまじまじと見た。確か年齢は自分より一つ上だ。この端
正な顔立ちの少年時代を想像すると、相当な美少年だった事は相違ないだろう。
「珍しい事じゃないって…本当かい…」
「シーハーツは女の割合が圧倒的に多いから、信じられんかもしれんが、本当だ。ただ、
俺はあんなもん冗談じゃねえからな。それに! 珍しくはないが、多いってわけでもねえ
からな!」
「はー…。アーリグリフ軍隊にそんな一面があったとは…。知らなかった」
「忘れろ。…くそっ! 嫌な事思いだしちまったじゃねーか!」
 悪態をついて、アルベルはネルを強く抱き締める。
「畜生…冗談じゃねえ…」
 なにか相当嫌な思い出があったようで。ぶつぶつつぶやいている。
 ネルは少し苦笑して、彼の背中を優しく叩いた。子供のように拗ねてしまったようだ。
 背中を優しく叩かれながら、アルベルは彼女の抱き心地を堪能していた。
 女は柔らかくて抱き心地がよくて。同じ人間なのに、この柔肌の感触の差は何だろう。
 それに、この女の抱き心地は極上だった。自分がそう感じているだけかもしれないのは、
認めたくない気持もあるものの、自覚している。
 さらに強く抱きすくめると、遠慮がちに抱き返してくる。
 ゆっくり押し倒すと、今度は抵抗されなかった。過去の恥の話も多少癪だが、一役買っ
たというやつなのだろうか。


 アルベルの腕の中で、ネルはぼんやりと天井を眺めていた。
 ここで初めて彼と関係した時の事をゆっくり思い出していた。
 そうだ。ソフィアという少女の存在に、微かな心の痛みを感じていたのだ。アミーナに
似ているとフェイトは言っていたが、あそこまで似ているとは思わなかった。
 あちらは年下。こちらは年上。
 あちらは一種の国賓。こちらは隠密。
 あちらは先進文明の青年。こちらは………。
 彼の世界と自分の世界。それの違いを何とは無しに感じてはいた。
 あの懸想心は壊れて初めて自覚した。
 別に泣く程ショックな事ではなかったし、そこまで惚れていたわけではなかったけど。
あっさり引き下がれたというのは、そういう事なのだろうけど。
 寂しくは思った。
 そんな時に求められ、なんだかなし崩し的にそういう関係になったんだと、思い出した。
 あれから、どれくらい身体を重ねてきたのだろう。アルベルはわりと自分を求めてくる
ものの、回数的にはそんなでもない。殴ればあきらめるし、みんなといる時はもちろん、
次の日が連戦必須の時は求めてこない。
曰く、女を抱くと次の日の戦いに支障が出るとか、なんとか。本当かどうかネルは知ら
ない。戦いが大好きなくせに何を言ってるんだと思ったが。
 しかし、この男も寂しく思うのだろうか?
 ふと、あどけない寝顔を見上げてみる。戦闘中の彼の表情とは掛け離れすぎていて、そ
のギャップが楽しい。
 長いまつげが印象的で、女の自分よりも綺麗に見えるのだから、またなんとも。
 そういえば、昼間からのイライラがきれいさっぱり消えている。あんなにもやもやいら
いらしていたのに、あの感情は今や微塵もない。
 なんでだろう…。
 少しけだるい身体を動かして、寝返りをうつ。
 あの苛立ちは、確か闘技場でのケンカは発端で…いや、ケンカの時はすでにイライラし
ていた。あの気持をデーモンロードにぶつけていた記憶がある。
 ケンカの前だと、闘技場での………。
 ああ……。
 今更ながら思い出して、またあの苛立ちが少し復活して。
 あの女だったのか…。
 情けない事に、あんな下らない術に引っ掛かってこの男は…。
 だから、術をあの女ごと苛立ちの感情こめてぶち込んだのだ。
『うるせえな。昼間のケバイ女の感触がまだ残っててムカつくんだよ。口直しだ』
 さっきのアルベルの言葉がよみがえる。口直しだなんて、失礼な…。自分を何だと思っ
ているのだ…。自分勝手にも程がある。
 口直しなどと言うなら、他の女をあたれば良い。
『ごめんだな』
 そんな事を言っていたけど…。まったく、なにがごめんだというのだ。そんなに、ネル
の身体は彼にとって手に入りやすいという事なのか。
『そうだったらもっと楽だったろうがな』
 何が楽だと言うのか…。
 そこで、ネルははたと、気づいた。
 …なんだ…。
 そして、ため息をつく。
 どうしてそういう言い方しかできないのか、この男は。というか気づかない自分も自分
ではあるけど、男の言い方はやはりわかりにくい。
 もっとストレートな言い方をしてくれれば、自分だって…。と、思いかけて、ネルはい
きなり体温が上昇してきた。
 そういえば、今はフェイトとソフィアを見ても、あの寂しい感情は沸き上がってこない。
少し呆れたような、微笑ましい気持も添えるくらいの余裕がある。
 ………………………。
 ネルは赤い顔でアルベルを見上げた。
 世の中、馬鹿ばっかりだ。
こいつも、自分も。
 もう苦笑するより他はない。
 甘い嘆息をすると、ネルはアルベルの胸に擦り寄った。

                                                                     おわり

























あとがき
ネルさんが焼き餅をやく話。ランキングバトルの最中に思いつきました。ランキング2位
のデーモンロード戦って、ある程度レベルがあがればわりと楽勝だし、30万お金もらえ
て美味しいし。アルベルのスタンの熟練度をあげるのに、何回も敵にぶちあたらなくて良
いとか。かなり戦ってました。
あと、アルベルってあの容姿だから、10代の頃とか、その手の趣味の人にはたまらなか
ったんじゃないかなとか。アーリグリフ軍って男だらけの軍隊だそうだし、未開惑星だし。
そんな時代のそんな軍隊でああいう美少年ってさ。正直狙われてもおかしくないと…。き
っとグラオさんとこの息子だったから無事で済んだとか。血筋的にも能力的にも。
個人的に、ですが。ヴォックス氏は男色家な気がしてなりません。いやその、極右という
だけで、薩摩男児な匂いを感じてしまうのですよ…。デメトリオあたりあやしいとか…。
いや、冗談ですけれど。
まあネルも女が多い環境にいたわけで、その、なんと言いますか。そういうのを聞いて興
味がないわけでもないとか、そんな感じで…。
つーかケンカしてアレして仲直りってのもミもフタもねえ展開だなあ……。