「うっはー。夜風が気持良いですねい、おねいさま!」
 お菓子を包んだ包みを頭上に乗っけて、ロジャーははしゃぎながら夜の街路をふらふら
歩く。
「あんまり大きな声を出すんじゃないよ。もう良い時間なんだから」
 前を踊るようにふらふら歩くロジャーを軽くたしなめて、ネルは人どおりのだいぶ少な
くなった大通りを歩く。でも、確かに夜風が気持良い。
「本当に大通り前の宿屋なんだね?」
「そうですよう。おねいさまぁ」
 あの踊るような足取りで、よく頭上のものを落とさないものだ。妙な所に関心しながら、
ネルは薄暗い街灯に照らされるロジャーを見下ろす。
 目的の宿屋にほどなくついて、ロジャーはカウンターにいるおじさんに早速話しかける。
「なぁなぁおいちゃん。ここに鉄のツメをつけた、お下げの怪しい格好の兄ちゃんが泊ま
ってるだろ?」
 えらい言われようだが、事実だとも思った。
「ん? どうしたボウズ。その人に、なにか用なのかい」
「うん。その兄ちゃんに用があるんだ。オイラの子分なんだ」
「一応、今は仲間なんだ」
 ロジャーの後ろに立っているネルが一応を強調してそう言った。宿の主人はネルを見て
一瞬驚いた顔をさせて、すぐに態度を改めた。
「あ、これはこれはネル様。ちょっとお待ち下さい。えっとですね…。三〇五号室にお泊
まりのお客様ですね」
「三〇五号室だな。じゃ、オイラ行ってきますぜ、おねいさま」
「行ってきな。私はこっちのロビーで待ってるから」
 ネルはカウンターの隣にある、少し広めのロビーを顎で指し示す。
「はーい!」
 口を大きくあけて笑うと、ロジャーは階段を上ぼる。
その後姿を見送っていたネルだが、ゆっくりと彼の後をつけていく。
「おーい! 兄ちゃあん! ロジャー様だぞー。あっけろー!」
 階下にも聞こえる大きな声でロジャーはドアをどんどん叩いている。一緒にいたら恥ず
かしいなと思いながら、ネルはロジャーからの死角にあたる階段下で様子を伺った。
 今は国王命令でお互い一緒にいるが、あのアルベルはどうにも信用ならなくて、ネルは
どうにも心配だったのだ。
「なんだうるせーな! どーしておまえがここいるんだ!」
 しばらくして、ドアを開ける音と、不機嫌そうなアルベルの声が聞こえてきた。
「よう!」
「ようじゃねえ! なんか用か!?」
「おう! 用があるから来たんだぜ!」
「何の用だ?」
「これ、持ってきたんだ」
「なんだ、それは?」
「せ、せ、せ…、せひら? せふら? ともかく、それっぽい名前のお菓子だ」
「はあ? なんで菓子なんか持ってきたんだよ」
 心底疑問に満ちた声がする。
「兄ちゃん、これ食った事ないだろ。食ってみろよ。すんげえ美味いぜえ」
「いらん。帰れ」
「まあそう言うなって。つーか食ってから言えよな」
「だから、いらねえって言ってんだ。聞こえねえのか?」
 いい加減うんざりした声に変わってきている。
「そんなに照れなくたって良いんだぜ。オイラにはわかってるんだ」
「阿呆な事ぬかすな! ったく、何だってんだよ、突然来やがって」
「今日の夕飯はむっちゃごちそうが出たんだぜ。すんごい美味かったんだ。兄ちゃんも来
りゃあ良かったのにさ」
「知るか」
「まあ兄ちゃんには兄ちゃんなりのジジョーっつーのがあるんだろ? オイラにはわかん
ねーけどさ。でも、なんか一本スジ通してるってーのは、なんかわかるぜ。なんとなく、
だけどな。それに、前に借りた借りも返してえしな」
「借り? 何の話だ」
「あの時、ラヴィッチの魔法くらってオイラフラフラだった時だよ」
「知らん。覚えてねえ」
 あくまでアルベルはそっけない。しかしロジャーはひるまないというか、気にしない。
「覚えてなくってもかまわねえよ。いちいち恩着せがましい事言われんのもイヤミだしな。
まあオイラとしてはギレーを尽くすのも立派な男のイッタンとしてだな…。イッタン? 
イッカン? い…、い………何だっけ?」
「知るかよ…」
「ともかく。美味いものを仲間に食わせにきただけだ。誰だって不味いモンより美味いモ
ンを食いてえもんだろ?」
「…まあ…、否定はしねえけど…」
「じゃあ、それで良いじゃねえか。食えよ。うめえぜ!」
「………………」
「? どうしたんだよ。黙っちまってさ」
「おまえ…、俺が今まで何をしてきたか知ってて言ってんのか?」
「まーな。けど、今は仲間じゃんよ。つーか、仲間に美味いもの食わせてやりてえってだ
けだってばよ。美味いもんを食うって、それだけでも幸せじゃねえか」
「………………」
「なに、猫がかつぶし爆弾くらったような顔してんだ?」
「なんだその言い回しは。…まあいい、入りたきゃ入れ」
「おう、入るぜ」
 二人は、部屋へと入って行く。ネルはそれを確かめて、足音をたてずに部屋の入り口に
近付いて、そっと扉に張り付いた。
 室内の二人の会話が聞こえる。そんなに厚い扉ではないようだ。
「なんだ、兄ちゃん、酒飲んでたのか?」
「俺の勝手だろうが」
「フケンコウだなー。つーか酒って不味いだろ。あのデカブツとか、何であんなに美味そ
うにガバガバ飲むのか、さっぱりわかんねーや」
「おまえもそのうちわかるようになるかもな」
 不思議に、アルベルの言葉にトゲがなくなっていた。
「まーまー、まずは食ってみろって」
 ごとごとと物音がする。テーブルの上に包みを置いたりしているのだろう。
「………………本当に美味いな…」
「っだろー! だから食ってみろって言ったんだ」
 まるで、自分の事のように喜ぶロジャーの声が聞こえる。
「なんだこれ、何でできてるんだ?」
「さーなー。おねいさまがなんか言ってような気がするけど、オイラ夢中で食ってたから
なー」
 しばらく、ロジャーが今夜のごちそうのあらましを、彼独自の視点で語って聞かせてい
るのが聞こえてきた。それがとても嬉しそうで、ネルは本当に喜んでもらえていた事に、
笑みを隠せなかった。
「…って感じでよー、ゼッピンだったね。…そいで、…ん、んぁ、喉がかわいたな…」
 さすがのロジャーもしゃべりすぎたか。
「飲むか?」
「いらねえ。それ酒だろ? 水は?」
「そっちに水差しがあるだろ」
「おお、飲むぜ」
「勝手に飲め」
 室内にパタパタという彼特有の足音が聞こえてくる。
「っぷはー!」
 随分とオヤジくさい声が聞こえてくる。
「おまえもオヤジくせえな。そのうち酒飲みになるんじゃねえの」
「そうかな…。でも、父ちゃんもわりと酒飲みだから、オイラもそのうちそうなるのかな
…」
「さあな。…しかし、シーハーツってのは本当に豊かな国なんだな」
「ん? ごちそうの事か?」
「まあな。アーリグリフの城でも、そんな豪勢なモンは出せねえな」
「城でも? 王様でもか?」
「無理すれば出せるかもしれんが、そこまではあの王はしねぇな」
 グラスをコツリと置く音が聞こえる。お菓子をつまみに何杯か飲んでいるようだ。
「おまえもアーリグリフを見てきただろう。クソ寒くて何にもねえあの国をよ」
「あそこの宿屋、やたら寒くて、メシもアレだったけど、アーリグリフってあんなもんな
のか?」
「そんなもんだ。貧乏なんだよ、アーリグリフはよ」
「ふーん…」
 瓶からコップに酒が注がれる音が聞こえる。声の印象から、かなり飲んでいるらしい事
が伺える。
「軍人の俺が言うのも、何な話だが、軍事費っつーか戦争ってのはやたら金がかかる。お
まけに昨今不作続きでよ。今回の戦争なんて、民に相当な負担をかけてのモンだったんだ」
「そこまでして戦争したかったのか?」
「あの戦好きに痛いところつかれたのもあったろうが、そこんところ越えりゃ恩恵がでか
いと踏んだんだ。実際、そんな豪勢な食事をおまえも食ったんだろ?」 
「うん」
「戦争直後だってのに、そんなモンが出せるって事は、なんだかんだ言って豊かなんだよ。
アーリグリフ周辺じゃ寒くてたいしたモンも取れねえ。カルサア周辺だって、寒かねえが
痩せた土地だからな。ロクなもんしかとれねえ。鉱物も洞窟に化け物が沸いて量もままな
らねえ」
「コウブツ?」
「鉄だの銅だの、おまえらが細工に使う原料だよ」
「ああ。あの鉱物な」
「まあ、ありゃ、軍部が化け物どものをどうにかすりゃ良いいんだが、戦争で人員さかれ
てたからな。あのクソジイイもいつだか愚痴ってやがったな」
「ふーん…」
「王が変わってからだいぶマシになったが、その前のアーリグリフは悲惨でよ。貧富の差
はやたら激しいし、王侯貴族や軍部は無能だらけの烏合の衆。寒波による凍死や、飢餓に
よる餓死者も多かった」
「と、トーシ? が、ガシ…」
「凍え死んで、飢え死にすんだよ。まあ貧乏ゆえにってヤツだ」
「そ、そうか…」
「ありゃその目で見ねえとかわかんねえよ。こことのギャップも目眩がしやがる。こんな
に美味いもんを食わせてやりてえっつー、てめえの気持もわからんでもねえ」
「…………」
 ネルは無言で扉から聞こえる声を聞いていた。あの男がいつもよりやたら饒舌なのは、
酒が入っているからなのか、相手が幼いロジャーだからか。
「しっかし、こりゃ本当に美味いな。戦争に勝ってりゃこれが食えたってヤツか?」
「アーリグリフがシーハーツに勝ってたら、どうなってたのかな?」
「さあな。勝った後の事は俺は知らん。んなこた王とジジイにやらせときゃ良い。大体、
俺が戦いの場以外のところ行ったってやることがねえ」
「そーなのか? やる気がねえだけじゃねえの?」
 アルベルの話を半分くらいしか理解してないロジャーだが、彼なりに国の事を想ってい
るのは感じた。それに、自分の父親が村長をしているので、それなりに治める立場という
のに、なんとなく思うところがある。というか、あの父親でもどうにかなっているから、
そんな言葉が口に出た。
「やる気がねえやつにやらせたって、ロクな結果になりゃしねえよ」
 自分で言ってれば世話ないが、その通りと言えば、その通りなのだろう。
「そもそも、勝ってもいねえのに、そんなハナシしたってしょうがねえや」
 ぐびっという、酒を飲む音が耳に入ってくる。どれくらいの酒を彼は飲んでいるのであ
ろうか。
「おい。てめえも飲むか?」
 子供の酒をすすめるな! ネルは心の中で叫んだが、中に怒鳴り込む気まではなかった。
「………それって…、美味いのか?」
「ん? まあ俺は美味いと思うがな」
「じゃあ、ちょっとだけ…」
「ホレ」
 とぽぽぽ…。
 瓶から流れ出る液体の音。
「おっとっと」
 妙にオヤジくさいロジャーの声。
「……よしっ!」
 意気込む声が聞こえ、そして…………。
「んがあ……」
 ドタン!
 室内から、倒れる音が聞こえ、ネルは扉に預けていた身をひるがえらせた。
「おい、チビ? ………あー。こりゃいっちまったかー」
 よっぽど怒鳴り込んでやろうと思ったが、ネルはなんとか踏みとどまった。
「……しょうがねえか…」
 ぽつりとつぶやく声が聞こえ、物音が中からする。扉に近づいてくる気配を察知し、ネ
ルは慌てて一階のロビーへと急いで駆け降りる。もちろん、気づかれないように忍び足で。
 ネルがロビーにある椅子に腰掛けて、ホッと一息ついた頃。ロジャーを背負ったアルベ
ルが姿を表した。
 彼女にまったく気づかないで通り過ぎようとするので、ネルは思わず立ち上がった。
「ちょっと!」
「あ?」
 アルベルは端正な顔立ちをしているくせに、やたらと目付きの悪い視線を向ける。とい
うか目がかなり酔っていた。
「なんでてめえがここにいる?」
「ロジャーに付き合ってここまで来たんだ。迷子になられちゃ困るから! それより、あ
んた随分酒臭いじゃないか!」
 会話は聞いていたが、彼がどれくらいの酒を飲んでいるのか見ていたわけではない。し
かし、近くにいるだけで相当酒臭いではないか。
「フン。うるせえ。それより、城はどっちだ」
「は?」
「酒を飲ませたら寝ちまった。ここでこのチビが寝るわけにもいかねーだろ」
「あんたねえ…」
 ネルはおおげさにため息をついた。

 二人は終始無言で歩いていた。
 夜風を浴びながら、人どおりの少ない道を歩く。月明かりと薄暗い街灯が照らす石畳を、
足音を響かせている。
「…こっちだよ」
 半身ほど先を歩くネルが城までの道を案内する。昼間なら目印が大きいだけに迷いよう
もないだろうが、夜ではやはり勝手が違うし、近道だって彼女の方が精通している。
 この男に対して警戒を解いたわけではない。部下にした仕打ちを忘れたわけではない。
シーハーツの人間を何人殺してきたのか、数えたわけではないが、かなりいる事であろう
事は想像に難くない。
 たとえお互い戦争中という特殊な状態であり、自分だってアーリグリフの人間を何人殺
してきたか知れない事も承知しているが。
 アーリグリフが先にほとんど言い掛かりみたいな理由で、戦争をしかけてきた事を忘れ
はしない。
 忘れたくない。
 ただ、何故そんな蛮行をしてきたかの理由の一端が少し見えた。
 ネルも、あの国の貧しさは目の当たりにしたし。
 アルベルの、態度や言動はどうあれ、彼なりにあの国の事を考えているのはわかった。
あのアーリグリフ王が何故彼を気に入っているのか。ほんの少しだけ、わかったような気
がした。
 あんなに憎んでいた心が和らいでいくのを、なんとなく実感している。
 多少距離をとってはいるが、彼と一緒に歩いていても、以前のようにイライラする気持
がわいてこない。
 ペターニの豊かな暮らしぶりを見て、何も言わないアルベルを、思い出す。そうえいば、
アリアスではあの屋敷から出ようとはしなかった。クリムゾンブレイドを冷やかしている
だけかと思ったが、それだけではなかったようだ。
 昼間のマリアの言葉を思い出した。
「ふう…」
 小さくため息をはきだした。
 好意的に解釈しようと思えば、そうできてしまう事に抵抗を感じる。
 ロジャーについて来て良かったのか、良くなかったのか。
 少し後ろを歩くアルベルを盗み見てみるが、薄暗くて表情まではハッキリしない。
 まあいいか……。
 ネルは夜空を見上げた。いちいちわだかまって余計な衝突を起こす事もあるまい。彼の
方も、無用なそれを彼なりに避けているフシがある。
 一時的に我慢しようと考えるよりも、ロジャーみたいにもっと建設的に考えるのも悪く
ないだろう。
 城の入り口までくる。表の門前ではなく、裏の出入り口の方だ。
「ここまで来れば、あとは私がやっておくよ。こんな時間に出入りできる人間も限られて
るしね」
「そうか」
 アルベルはそれだけ言って、ロジャーを降ろす。彼は赤い顔のまま、寝入っている。
「そこに置いときな。じゃあ、明日の朝九時、門前だよ」
「ああ…」
 彼に対する語調としては、今日の昼間までとは明らかに違う事に、彼は気づいているの
かいないのか。
 アルベルはくるりと背中を向けて、元来た道をたどり始める。ゆらゆら揺れる髪の毛と
背中を眺めるネル。
「遅れるんじゃないよ!」
「うるせえ」
 その背中に声をかけるが、悪態しか返ってこない。それでも、ネルは不思議に腹は立た
なかった。
 ネルはフッと息をついて、それから少し困ったように寝ているロジャーを見下ろした。
おぶってもいいが、彼の目付がたまに気になるネルとしては、少し抵抗があるのだ。
 しばし考慮したのち、ネルは扉の中に入り、近くにいた兵士の一人に声をかけた。

「来ないわね…」
 苛立ちを隠せないように、マリアは腰に手をやった。
 約束の時間になっても、アルベルは表れなかったのだ。クリフとなぜかロジャーまでも
が、二日酔いを起こしているのも朝から不機嫌である理由の一つだ。
「どうせ寝てるんだろ。仕方ない。私が行くよ」
 ため息をついて、ネルは宿屋へと歩きだす。
「ん? 何だい?」
 苛立っているマリアが少し呆気にとられたような顔をしたので、立ち止まって彼女に向
き直る。
「…いえ、あなたからあの男を呼びに行くって、ちょっと珍しいなって思って…」
「あの男がいる宿屋を知ってるのは、私とロジャーだけだからね。ロジャーはそんな状態
だし」
 青い顔のまま、どんよりした表情のロジャーを目で指して、肩をすくめる。
「…そうか。そうよね…。まったく…困ったものだわ…」
 腕を組んで、マリアは半分に見開いた目で、ロジャーとクリフを順繰りに睨みつけてい
った。
 少し小走りでシランドの雑踏へと消えていくネルを見送って、マリアは一緒に彼女を見
送っていたフェイトに向き直る。
「どうしたのかしらね? アルベルの事となると、必要以上にピリピリしていたあのネル
が、あんなにあっさり迎えに行くなんてね」
 さすがに仲間になった直後ほどの緊張と警戒は、だんだん緩和されていったものの、決
して許している雰囲気ではなかったのに。
「さあ…。昨日、何かあったのかな」
 フェイトも不思議そうだ。
「まあ、無用ないさかいが少なくなりそうで、それはそれで良いけどね。今は仲間内でい
がみ合ってる場合じゃないわけだし」
「なあ、ロジャー。昨夜、ネルさんとアルベルって、何か話したりしてたのかい?」
 腰を落として、ロジャーの視線にあわせてしゃがむフェイト。
「えー? あー…、さあ…。オイラ、あんまり覚えてねえんだ…。うあー、気持悪い…」
 駄目だこりゃ。
 フェイトは肩をすくめて、立ち上がった。

「起きな! 今、何時だと思ってるんだい!」
 ドアを激しくドンドン叩いて、ネルは大きな声を張り上げる。
 だがしかし、扉の向こうで人の動く気配はない。ネルは盛大にため息をついた。仕方な
く、彼女は自分の立場上の特権を使い、宿の主人からこの部屋の鍵を借り受けた。
「ちょっと! もうとっくに時間を過ぎてるんだよ!」
 テーブルセットとベッドしかない簡素な部屋だった。シンプルな造りのベッドの上に、
黒と黄色の入り混ざった髪の毛が見える。
「うるせえ…」
 聞こえてはいるらしく、彼はベッドの中でもぞもぞと動いている。ネルのこめかみに血
管が浮き上がる。
「いい加減にしな! もう!」
 彼がかぶっている毛布を引っ張って、勢いよくひっぺがす。
「う、うわあ!」
 だが、すぐに顔を赤らめてネルは毛布を元に戻す。
「ば、バカ! 何で何も着てないんだ!」
「うるせえなあ…」
 やっと、アルベルは半身を起こす。目をこすりながら、のんきに生あくびなんぞする。
「…なんでてめえがここにいる…」
 ここで初めてネルに気が付いて、半開きの目で彼女を睨みつける。もしかするとただ眠
いだけかもしれないが。
「約束は朝の九時だろう!? 今何時だと思ってんだい!」
 ネルは赤い顔が直らないまま、壁にかけられている時計を指さした。時計の針は九時半
をさしていた。
「ああ」
「ああじゃない! ともかく、とっとと身支度しとくれよ。みんな待ってるんだ」
「…そうか…」
 生あくびを連発し、アルベルの動きはにぶい。
「それにしても…、なんか着て寝たらどうだい?」
「下ぐらいはいてる…。…見たかったのか?」
「誰が!」
 一際大きな声を出して、ネルは真っ赤になって怒鳴った。そう言えば、一瞬だったので
わからなかったが、何も着ていないわけではなかったらしい。…とはいえ、ぱっと見て、
そう見えたのも事実…。
「? なんだい?」
 視線を感じて、ネルはちょっとたじろいだ。
「…着替えたいんだが…。男の着替えが見たいのか?」
 しまったと思ったがもう遅い。
「何でそうなるんだい! ってか、誰が見たいもんか!」
 思わず怒鳴りつけて、ネルは大股でこの部屋を後にした。そして、扉に背中をあずける
と、赤い顔のまま、ため息をついた。
 怒って怒鳴りつけたものの、その中に敵意や殺意と言った殺伐としたものが含まれてい
ないのに、彼女自身、気づいてしまったのだ。
 しばらくして、背中を預けていた扉が開かれて、ネルは少し体勢を崩した。
「おっと…」
「邪魔だ」
 見上げると、端正な顔立ちがそこにあった。準備がすんだらしい。
「行くよ! みんな待ってんだから」
 照れ隠しに怒って、ネルは足早に歩きだすと、アルベルも続いた。
 つい昨日までは、一緒に歩く事さえも嫌だったのに、自分自身の変化にネル自身が一番
あきれた。
 アーリグリフの蛮行を一応は許すつもりでいたけど、心の底からそうする事はできなか
った。あの国が貧しい事は知ってはいたし、見てはいたけれど。
 彼らが飢えと寒さに必死で戦っていた頃、自分たちは恵まれた環境の下でのんきに暮ら
していた。無論、だからといって非人道的な事が許されるわけではないのだが、一方的に
責める気にはもうなれない。アーリグリフ王の苦悩がわかりたくないけど、わかってしま
ったような気がした。
 そして、豊かなシーハーツを見ても、ネルが敵意向きだしの発言をしようとも、何も言
わないアルベルを見直してしまったのが妙に悔しい。
そして、割り切れていないのは自分の方だと痛感させられてしまった。
 頭ではわかっているつもりだったけど。
 ネルは抜けるような青空を見上げ、ため息をついた。
「? どうした?」
 立ち止まったネルに、アルベルも立ち止まる。
「……………」
「なんだよ…」
 見つめられ、ほんの少したじろいだようだが、すぐに不機嫌そうな顔になる。
「…なんでもないよ…。行こうか」
 柔らかく言われ、ほほ笑まれてしまったので、アルベルが一瞬だけギョッとしたのにネ
ルは気が付かなかったようだ。
 いきなり謝っても変な顔されるだけなのはわかっているので、ネルは何も言うつもりは
なかったけど。
 そんなネルに違和感を感じたのか、アルベルはさっきより少し距離をとって歩いている。
 歩きながら、空を見上げる。晴れ渡る空が気持良い。完全にわだかまりを捨てるのは無
理だと思うけど。もう少し素直な気持で、彼の強さは認められそうだ。
 太陽の光が妙に心地良い午前だった。


                                                                        おしまい





























あとがき
最初はお題のつもりで書いた話ではありませんでした。ちょうど腹の描写があったんで無
理やりもってきたものだったりします。
まあアルベルが丸くなっていくきっかけとか、ネルがアルベルに対して警戒を解くきっか
けとか。そんな感じ。
ロジャーが出張っているのはただの私の趣味です。お子様好きなんです。
まあ、ロジャー相手で多少酔ってるなら、アルベルも愚痴ったりするかな、とか。そんな
感じ。あんまり愚痴っぽい性格してないと思うけど、たまには、ね。