大丈夫
  ビーストキングダムにある本を読ませてもらっていると、なにやらさわがしいのに気
づく。それでもほっといて読書を続けていると、バタンとドアが開いた。
「ラヴィアーン!  元気してたかぁ?」
  なんと。ホークアイがずかずかと入って来るではないか。
「……どうしたの、おじさん?」
  あまりに意外な人物に、ラヴィアンは目をぱちくりさせた。
「うん?  ああ。ウェンデルに行ってみたら、おまえさんとケヴィンがここにいるって
聞いてな。ちとやって来たんだよ」
「……え…?  でも、ウェンデルからここまで、ちょっとやっそっとの距離じゃないよ
…?」
「まぁ、いいじゃねぇか。温泉もあるって聞いてな。俺も入ろうかと思って来たんだよ」
  ここでは、ラヴィアンは顔に包帯をまいていない。獣人達は、ラヴィアンの醜い顔や
肌を見てもあまり気にしないようだったし、治りの悪い怪我人程度の認識しかしてない
らしかった。元々、外面的なものをそれほど重視する種族ではないらしいというのもあ
るようだ。
「おまえはどこに行ったって読書かぁ…」
  ひざの上の本を見て、ホークアイは苦笑する。
「うん…。やっぱりウェンデルよりは蔵書量が少ないみたいだけど…。でも、ここにし
かない本も多いからね」
「………そっか。」
  蔵書量において、アルテナとウェンデルとで他国と比べようという事自体が間違いだ
と、ホークアイは思っているのだが…。
「でも、ここって新しい本でも、写本ばっかりなんだね。字が汚いのもあって読みにく
いんだよね」
「そっか…」
  机の上に積み重なる本をながめて、ホークアイはあきれたような声でつぶやく。
「あ、そうそう。おまえも温泉にいかないか?  さっきみんなで行こうって言ってたん
だ」
「…うん…。そうだね、いいよ。用意するから、ちょっと待ってて
  本にしおりをはさんで、車椅子を動かして、机の上に本を置く。
「じゃ、用意できたら来いよ」
  そう言って、ホークアイは部屋を出て行った。ラヴィアンは干してある水着を手に取
り、タオルの乾き具合を確かめたりした。
「お待たせー」
  ラヴィアンが車椅子の車をまわしてやって来ると、そこに集まっていた連中がこちら
を向いた。
「よし。じゃあ、行こうか」
  早速ラヴィアンを肩にかつぎあげると、ケヴィンは大股で歩きだした。ホークアイも
それに続く。
  険しい岩山も、ホークアイは気にしないで彼もひょいひょい上ってきた。
  温泉は、今日も色んな生き物でにぎわっているようだ。
「へへへー…」
  先に温泉に入れてもらって、最近ずっと居座っている岩だなの上に腰掛ける。ケヴィ
ン達の言うとおり、確かにここの温泉は格別に心地よかった。硫黄くさいというのをの
ぞけば、まったく文句がない。
「おー、こりゃ確かに気持ち良さそうだなー」
  ホークアイの声がする。腰にタオルを巻いて、この温泉をぐるりと見渡している。彼
もなかなかたくましいのだが、周りが獣人なので、すこし貧弱に見えてしまっていた。
  そして、なにかケヴィンとしゃべりながら温泉に入ってくる。
「ビーストキングダムにこんな温泉がわいているとはな」
  湯を腕にかけながら、入ってきたケヴィンに話しかける。
「ああ。10年くらい前にオレが見つけたんだ。動物たちはもう見つけてたみたいだけ
どね」
「ふーん」
  ラヴィアンはいつものように、温泉の中でばたばたと足を動かしていた。心なしか、
前よりよく動くようになってきた気がする…。
「でも、こうやってホークアイとお風呂に入るの久しぶりだね」
「あー?  そうだな。これにデュランがいたら完璧だよなぁ」
  ケヴィンがにこにこして言うと、ホークアイは笑い出して喜んだ。
「……ねぇ、おじさん」
「ん?」
  不意に話しかけてきたラヴィアンに、ホークアイは振り向いた。
「…おじさん達…、ケヴィンさんもそうだけど…。お父さん達と昔何をやったの?」
「何って…」
「旅をしてたんだよ」
  口ごもるホークアイに変わって、ケヴィンが答えた。
「旅?」
「旅。いろんなとこ行って、いろんなことがあったりやったりしてたんだ。実際には、
そんなに長い期間じゃなかったけど、でもオレは、あの旅を絶対忘れない」
  なつかしそうに言って、そして、本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
「ふーん…」
  どこへ言って、何があって何をやっていたかわからない。けれど。その様子からは、
どうしても忘れられない、忘れてはいけない。彼らにとって大事な思い出であるらしか
った。
「なんかね。今まで困った事とか、イヤな事とか、色々あったけどね。あのときの事を
思い出すと、なんか元気がでるんだよね。きっとこれからも、思い出せば、あの思い出
はオレに元気をくれるんだよ。そうしたらね、次ぎの良いことにも出会えるんだ」
「……ふーん…」
  もう少しくわしく聞きたかったけれど、ケヴィンからはこれ以上の情報を聞き出すの
はちょっと無理だろうし、ホークアイは、なんだか話してくれそうにない。
「……そうだな……。俺もそうだったな…」
  ホークアイはケヴィンを見て、それから空を仰ぎ見た。
「で、どうだ?  ラヴィアン。足の調子は?」
「え?  うん…。なんか、けっこう動くようになって来た気がするんだ」
「そうか!  な?  ここって効くだろう?」
  子供のように無邪気にほほ笑むケヴィンを見て、前にここで会ったテルマの言葉を思
い出してみる。なんとなく、うなずけるものを今感じたからだ。
「そうそう。…まぁ、ここで話すのもナンだけど…。ウェンデルにはもうアンジェラが
戻ってるんだよ。で、俺は連れ戻してこいって、事もあってここにやって来たんだ」
  ホークアイが急にそう言う事を言い出した。
「そっか…。そういえば、けっこうここにいたな」
「…本借りていい?」
「ん?  いいよ。ルガーも別に何も言わないだろうし」
  先に本の事が出るとはいかにもラヴィアンらしかった。
「そうだ。あのね、ここの温泉なら、けっこう立てるようになってきたんだ」
  言って、ラヴィアンは岩だなから降りて、少しふらつきながらも立ち上がる。最近、
練習しているのだ。
「そうだな。あとは歩くだけだよな!」
  ケヴィンもにこにこして、ふらつくラヴィアンを眺める。ホークアイは唖然として彼
女を見た。ちょっと前までは(というほど最近でもないのだが)寝たきりで、この前は
車椅子で、今は立ち上がろうとしているのだ。
「……す……すごいじゃないか、ラヴィアン!  もう立てるのか?」
「ここは水…というかお湯の浮力があるからね」
「それにしたって…。…っはー…、すげぇすげぇ!」
  ホークアイも手放しに褒めてもらえて、ラヴィアンは照れ笑いした。


「…そっか…。もう行くんだ…」
  別れの時間。ルガー他獣人達はラヴィアンをケヴィンを見送ってくれた。みんなが入
る場所、ということでみんなして謁見の間に集まった。
「うん」
  車椅子に座って、ラヴィアンはルガーを見上げた。ここで会った頃よりだいぶ元気を
取り戻したと見えて、表情も明るくなっている。
「じゃ、しっかりな」
  ケヴィンに肩をたたかれて、ルガーは苦笑する。
「そうだ。ねぇ、ルガー」
「うん?」
「昨日、ちょっとできそうだったんだよ。できるかどうか、わかんないけど、ちょっと
見てみて」
  そう言って、ラヴィアンは車椅子のてすりにつかまって、ヨロヨロと立ち上がろうと
する。ルガーが慌てて支えようとしたが、踏みとどまった。
「よっ…と…」
「も、もうちょっともうちょっと!」
  ケヴィンの声援を受けて、ラヴィアンは立ちあがる。他の獣人達も、ホークアイも固
唾をのんで見守る。そして、ゆっくりと手すりから手を離す。そして、ぱっと手を広げ
て見せた。
  とうとう自分で立てるようになったのだ。
  うわあああぁぁーいっ!
  そこにいた獣人達が歓声をあげた。ケヴィンは大喜びで、ラヴィアンを高く抱き上げ
た。
「た、立てたじゃねぇか!  ラヴィアン!」
「は、初めてだったんだけどね…」
  獣人達が口々に喜んでくれる中、ルガーもラヴィアンの手をとった。その顔は随分と
晴れ晴れとしているようだ。
  きっと、もう大丈夫なんだと思う。
  ラヴィアンも落ち込むルガーに悪いなと思ってたから、きっと元気な姿を見せれば良
いんじゃないかと思ってたから。立てるなら立って見せたかった。
  予想以上の効果があったようである。
「いやー、その姿をアンジェラ達に見せてやれよ。きっともっと喜ぶぜ」
  ラヴィアンの背中をたたきながら、ホークアイがそう言った。
「そ、そうかな…」
「あったりまえだろ、おまえ!」
  寝たきりの頃には考えられなかった事も、きっと今ならもっとたくさん前向きに考え
られそうだった。
  走ったり、剣を振り回すのはたぶんもう無理だけど。本を読む事はできる。その知識
が、だれか他の人のためになるのなら、そっちの道にすすんでもいいよね。
  なんて思いながらラヴィアンは、どこを見ても立ちあがれた自分に喜んでくれる顔を
見回した。


「でも、どうやって帰るの?」
  さすがに歩くのはまだ無理である。車椅子を押してもらいながら、ラヴィアンはホー
クアイを見る。なぜか、これから帰るはずなのに城の屋上に向かっているのである。
「うん?  それは見てのお楽しみ。きっと絶対気に入る方法だよ」
  そうウィンクして、ホークアイは教えてくれなかった。
  屋上に来ると、ホークアイは懐からでんでん太鼓を取り出して鳴らしはじめた。ラヴ
ィアンはさらに困惑する。
  どれくらいの時間が経ったであろうか。一瞬、空を覆う巨大ななにかが飛来した。そ
して、小さく旋回すると、なんとこちらにやって来たのである。
「な、ななななな、なにあれぇ 」
「翼あるものの父。おまえなら知ってるだろう」
「で、でで、でもっ、あ、あれはローラントにいるはずで…」
  激しくどもって、ビビりまくるラヴィアンのリアクションが楽しいらしく、ホークア
イは笑いながらラヴィアンに言う。
「飛んでるんだから、住まいはローラントでもここまで飛んでこれるさ」
「ししし、しかも、なんでそんなでんでん太鼓たたいたらやってくるの!?」
「…いや、まぁ、それは俺もわからんけど…」
  翼あるものの父は大きかった。真っ白い毛に全身をおおい、2対の大きな翼。案外可
愛い顔付きでこちらを見ている。
「んじゃ、フラミー。悪いけどまた頼むわ。ウェンデルまで、な」
「きゅーっ」
  うなずくと、今度は乗れとばかりに背中を低くする。
「フラミーはオレも久しぶりだなぁ。あ、ラヴィアン頼む。オレ車椅子もつから」
「ああ」
  ホークアイは手早くラヴィアンを抱き上げて、ケヴィンは車椅子をもつ。そして、二
人してフラミーの背中に乗り込んだ。
「乗ったな。きちんとつかまってろよ。んじゃ、フラミー!」
「きゅくーっ!」
  一声鳴くと、翼をぶわっと動かし、床に打ち付ける。
「わっ、わわわっ」
  ふわりと浮いて、そして飛び立った。
「うわぁ…!」
  城も森も一望できて、あそこには高い塔がのびているのも見えた。山も海もすべてが
見渡せた。少し寒いが、風は心地良い。
「うわー、やっぱり空は良いなぁ!」
  風を浴びながら、ケヴィンが叫ぶ。本当のその通りだと思った。
  空を飛ぶって、こんなに気持ち良い事なのか。
  この爽快感は初めてだった。
  山も森も丘も峠もなにもかも飛び越えて、風に乗って鳥を追い越して。
  なにもかもに見入っていた。
  寒いのさえどうにかなれば、いつまでもいつまでも、このフラミーに乗っていたい気
分だった。


「フラミー、サンキュな」
  ウェンデルの神殿内、広い中庭にフラミーが降り立った。そこらにいた神官達は何事
かとちょっと見たりしている。しかし、慌てた様子はだれもしていない。
「…もしかして、あたしが知らないだけで、おじさん、この翼あるものの父にけっこう
乗ってここにやって来てた?」
「うん。そうだよ。移動早いし、面倒じゃないし」
「…………………」
「あ、シャルロットー!  あ、アンジェラぁ、デュラン!  来てたんだぁ!」
  早速親友の姿を見つけて、ケヴィンは駆け出した。彼らもこっちにやって来た。
  そちらを見ていると、後ろで羽音がするので見上げたら、フラミーが飛び去ろうとし
ていた。けっこう風圧がすごい。
  と、そのうちにホークアイに車椅子に乗っけられる。まだフラミーを見上げていたが、
両親やシャルロットがやって来たので、そちらに視線を戻した。
「そうだ、ラヴィアン、ちとやってみるか、あれ?」
  耳元で、ホークアイがラヴィアンに小声で言う。
「え?  でも、またできるかわかんないし…」
「いいじゃねぇか、減るもんじゃねぇし。やってみなやってみな。んでもって、驚かせ
てみなよ!」
  ホークアイがはやしたてるので、ラヴィアンもやってみようという気持ちになってき
た。
「んもう!  あんたウチの娘をどこに連れ回してたのよ!」
  早速アンジェラがケヴィンになんか言っている。
「おーい、アンジェラ!  デュラン!  ほれ、シャルロットも、こっちに来てみな!」
  ホークアイが声をかけると、みんなこっちを向いた。デュランはもうこちらに随分近
づいてきている。
  ラヴィアンは、てすりに掴まって、ぐっと腕に力を入れて、足に重心をかけて、腰を
浮かせて。
  さっきフラミーに乗っていたせいもあってか、妙に身体が軽い気がする。あの心地良
い風を、肌がまだ覚えているようだった。
  ぎゅっと大地に足を踏み締めて、大丈夫、このまま手を離しても。
  そう思って、てすりから手を離す。ちょっと揺れそう。やっぱり大丈夫。自分の足で、
こうやって立ち上がれる…。
  ラヴィアンは車椅子から完璧に立ち上がって、手を広げて。そして、笑って見せた。
  ほら、もう大丈夫…。

  神殿の中庭に喜びの歓声があがった。
                                                                       END