錆びたナイフ
「…………あきれたね…」
  イーグルは話を聞いて、本気であきれて肩をすくめた。
「……いや…。だから…身に覚えはあるんだけど、身に覚えはないという……」
  気まずそうに、ホークアイは手をもじもじと動かす。イーグルのベッドに腰掛けて、
ため息をついた。
「ったく…。ジェシカが聞いたら卒倒するか、お前を張り倒すか、どっちかだぞ…」
「うるせぇな…」
「…ま、ともかくそういう事なら調べよう。お前のためにも、ジェシカのためにも、な
……。とはいえ、そのコ、おまえがそうだったとか、俺がそうだとか、そういうのは知
らないんだな?」
「たぶんね。知ってたらそういう事はしないと思うぜ」
「OK。後は俺に任せな。ま、大船にのったつもりでいなよ」
  イーグルは片目をつぶって見せて、自信ありげにそう言った。
「………頼む……」
  イーグルもホークアイ並にモテるらしいが、お互いの異性関係は、お互いにノータッ
チであるので、ホークアイはよくは知らない。
「居間で待ってな。ジェシカのケーキが焼き上がる頃には、結果が出てるさ」
  ホークアイはイーグルの部屋を出て、居間へと向かった。居間つづきのキッチンでは、
ジェシカがなにやらケーキを焼いているようだった。
「どうしたの、ホークアイ。いきなり兄さんの部屋に行ったりして」
「ちょっと急用があったんでな…」
  ソファに引っ繰り返って、天井を見上げた。なんだか目まぐるしい感じがした、今日
この頃。それも、今日でおしまいだ…。片思いのあの娘への想いもあきらめなくてすむ
…。
  両手で顔をおおって、ため息をついた。…そうあってほしい、そうでなきゃ困る…。
「どうしたの?  なんか、悩み事でもあるの?」
  ジェシカが隣にすわって、ホークアイをのぞきこんだ。泣き虫だった彼女を慰めてい
たのはいつもホークアイだったような気がする…。
「…いや…。ジェシカが心配する事じゃないよ…」
「……そう?」
「ああ…。それより、ケーキが焼けたんじゃないか?  随分良い匂いがするぜ?」
「あ、そうね!」
  ジェシカは立ち上がるとオーブンをのぞきこみ、そしてミトンを手にはめはじめた。
そして、そのときイーグルが居間へと姿をあらわした。
「よう、調べといてやったぜ。お前の願った通りだ」
「ホッ…。よかった…。それで?」
「ま、これを見ろよ…」
  ホークアイは手渡されたファックス用紙を手に取り、目を通す。
「…わかってるだろうが…わかってるだろうな…」
  イーグルは意味ありげに、ジェシカを見ると、ホークアイは深く頷いた。イーグルや
ホークアイにいくら危険がおよんでもそれはかまわない。けれど、彼女におよぶのだけ
は防がなければならなかった。
  ホークアイはファックス用紙を手に取りながら、自室へと向かう。そして、自分の携
帯電話でもって、アニーの携帯電話へとかけた。一応、聞いておいて良かった…。
 携帯電話の履歴を見ると、何度も彼女がこちらにかけてきたのがわかる。今度はこち
らからかける。
『ちょっ、あなたどういうつもりなのよ!  いきなりあんな事言って!』
 予想していたが、やっぱりいきなり怒鳴られた。
  明らかに怒っている。
「その理由はおまえが一番知ってるんじゃないか?」
  できるだけ、冷めた声で言ってやると、息をのむのが受話器越しに聞こえた。
『なっ、何を言って…』
「お前だって俺じゃなくって、意中の男と結婚したいんじゃないのか?」
『……な……何を言って…言ってるのよ!  そんな…そんな事…』
「お前の親父さんが認めてくれそうになくってもよ。なにも俺をかつぎあげなくたって
良いじゃねぇかよ。クライブって言うんだろ?  相手の男」
『…な……何で……知ってるの……』
  かすれた声は、それが真実だと物語っていた。
「自分の親くらい、自分で説得しろよ。それくらいの覚悟もなくて、子供を本気で産む
のか?」
『……………………………』
  受話器の外で、なにやら彼女の父親の怒鳴るような声が聞こえる。かわれとか、言っ
ているのも聞こえる。
『………………ごめん………ごめんね…。ホークアイ………』
  謝る彼女の声は涙声だった。
『……でも、クライブの次ぎに好きだったのは本当なの……。本当よ…。結婚したいと
思った事も……』
  ハッキリ言って良い迷惑だったが、もちろんそんな事は口にしてはいけないのである。
『……ごめんなさいね…ホークアイ……迷惑かけて……』
  まったくだ。
『……私…ちゃんとお父さんに言うわ…。ごめんね…。でも…少しの間夢を見させても
らって…ありがとう……ごめんね……それじゃ……』
  プツリ。
  そこで電話が切れた。
  ツー、ツー、ツー…。と受話器の奥から聞こえる。
  そして、ホークアイはやっと解放された事を知った。
「っっっやっったぁぁぁぁぁぁぁぁー…」
  ベッドの上に大の字に寝っ転がって、悪夢の数日間が終わりを告げた事を実感したの
である。
「その様子だと、うまくいったようだな」
  部屋のドアを開けて、イーグルが顔を出す。
「サンキュ。助かったよ」
「しっかし、おまえもマフィアの娘に見初められるとはな。さすがはナバールのはしく
れだったって事か?」
「勘弁してくれよ…」
  ホークアイは苦笑して、半身を起き上がらせた。
「それにしても、ここまで調べるのに、えらい早かったなぁ…」
「ま、そこはナバールの情報力って事さ…」
  ホークアイは関心してファックス用紙をながめる。そこにはアニーのや、彼の父親の
事が詳細に書かれており、彼女のお家事情や、クライブという彼女のオトコの存在まで
も洗い出していたのである。このクライブという男、このマフィアの家の近所に住むと
いう貧乏な絵かきで、彼女の父親がそんな男との仲を許すワケもなくて、彼女の父親が
許してくれそうな、たまたま遊びでつきあってしまったホークアイに白羽の矢がたって
しまったわけなのだ。
「しかし、そのアニーって娘、だてにマフィアの娘じゃなかったってこったな。お前に
白羽の矢をたてたって事は、おまえの裏の顔にも気づいたんじゃねーの?」
「気づいちゃいないだろうけど、薄々かぎとってはいたかもな…。勘弁してほしいよ、
本当に…」
  そう。薄々感じていた、裏の世界の匂い。それは、アニーも自分もどこか巧妙にかく
しているようで、けれど、やはり隠しきれない、同族の感覚。おそらく、彼女の父親の
マットも、それを薄々かぎつけたのだろう。だから、あのとき大きく頷いた。
  アニーでは薄かったあの感覚も、現役バリバリでやっているマットでは強烈に強く感
じられた。おかげで、彼女の事情もわかったのであるが…。
「俺、あの仕事からはいーかげん足を洗ったんだけど…、やっぱとれないもんかね。そ
ういう匂いってのは」
「たぶんな。けど、これは貸しだからな。おまえにまたあの仕事を頼むかもしれん。覚
悟しとけよ。おまえが足を洗った事に一番残念がってるのはこの俺だからな」
  少し意地悪そうにイーグルがそう言うと、ホークアイはちょっとイヤそうな顔をした
が、何も言わなかった。
  平凡そうに見える彼らにも、裏事情はあるようで。そういう人は、けっこう身近にい
るものなのかもしれない。


「この遺跡保存についてなのですが、政府は…」
  教授の講義が続く。さして大教室でもないので、あまりあからさまに教室に入るのは
やっぱり気まずい。
  スキを見計らって、ホークアイが教室に入り込み、デュランの隣へと滑り込んだ。
「……よう……」
  やっぱりいつものように、あきれた目でデュランはホークアイを見た。
「よう」
  なんだか久しぶりに感じる、親友の顔。
「最近学校来てなかったな」
「ちょっと、色々あってな…」
  授業の邪魔にならないよう、小声で会話する。
「今日はどっかメシ食いに行こーぜ」
「?  …良いけど…。学食以外のトコに行くのか?」
「あ、いや、やっぱ学食だけど…」
「じゃ、そういう言い方やめろよ…」
「……スマン」
  そうなのだ。彼と学食で昼食を共にするのはいつもの事だったのだ。なんだか、それ
が妙に嬉しくなってしまった。親友関係は切れてないのだな、と実感してしまう。
  女の子が悪いわけないけど、こうやって男同士の友情も悪くないかもしんない。
  などと、ホークアイは思い直していた。ていうか、あのショックが大きくてまだ立ち
直りきれていないのだろうと自覚する。しばらくは、女遊びをする事はないだろう。
「んーだよ、気色ワリィな、人の顔見てニヤニヤすんじゃねーよ」
「いや、そういうつもりじゃ………」
  …改めて思い直すってのは、ガラじゃないのかな、などと思ったりもしていた…。

                                                                        END