「ひっく、えっぐえぐえぐ…。うえっく、ふえええ…」
  草むらから、可愛らしい泣き声がする。男の子は、なんだろうと思ってその草むらを
かきわけて進んでみた。
  ぐんぐん進んで、その泣き声の主を見つけた。男の子と同じくらいの、５、６歳くら
いの女の子だった。
  こちらに背を向けているので、顔はよくわからない。しゃがみこんで、さかんに泣い
ていた。
「おい、おまえ。どうしたんだよ？」
  そう、ちょっとおっかなびっくりに声をかけると、女の子はこちらを向いた。
  ドキッ…。
  彼の小さな心臓が大きく跳ね上がった。その女の子はとても可愛らしくて、男の子は
思わず言葉を失った。
  大きくてつぶらな瞳。桃色のほっぺ。小さな唇。明るい金髪を結ぶ大きなリボン。ど
れを見ても可愛らしい女の子だった。きっと笑ったらもっと可愛いだろうに、そのつぶ
らな瞳は今や赤くて、ひどく悲しそうだった。
  一瞬言葉を失った男の子だったが、すぐに我に返ってもう一度話しかける事にした。
「…おまえ、どうしたんだよ…？」
「…………………」
  しかし、女の子は突然の男の子の出現に戸惑っているようで、小さくしゃくり上げて
いるだけだ。
「どうしたんだよ？」
  さらにもう一度聞いてみる。けれども、女の子はただただ、男の子を見ているだけだ
った。
「おまえ、しゃべれないのか？」
「ひっく…。しゃべれるもん…」
  震える声で、女の子は口を曲げてそう言った。
「じゃあ、なにか言ってみろよ。どうしたんだ？」
  言いながら、男の子はどんどん女の子に近づいた。女の子は警戒はしていないようだ
ったが、かと言って男の子に心を許そうとはしていないようだ。
  男の子は女の子に興味をおぼえた。けれども、女の子は男の子の事なんてどうでもい
いらしく、またシクシク泣き出したのだ。
「泣いてちゃわかんないだろ？  なんで泣いてんだよ？」
「ひっく、えぐえぐっへっく。あんたに、かんけぇないじゃない、ひゃっく」
「そ、そりゃそうだけどさ…」
  そう言われてしまってはどうしようもない。だけど、男の子はほっとく事ができなく
て。女の子の隣に腰をおろした。そして、未だ泣き続ける女の子の横顔をそっと眺めた。
「…あのさ、泣くとからだに悪いぜ」
「…………ひっくえぐえぐ…。うく…。ほ、本当？」
  口から出まかせだったのだが、きっとそうだろうと思い込んで、男の子はうなずいた。
「……えっく…。スンスン…」
  それが効いたらしく、女の子は次第に泣き止んでいき、最後は小さくすすりあげ、ポ
ケットのハンカチでゴシゴシと自分の顔をふいた。
「泣き止んだか？」
「…………うん……」
  赤い目のまま、涙に濡れたまま。それでも女の子は小さくうなずいた。
「……あんた、だれ？」
「え？  俺か？  俺は…………」
  ザァッと風がひときわ強く吹いて、草がガサガサと大きく揺れた。そのせいで、女の
子は男の子の名前を聞き取る事ができなかった。
  もう一度聞こうと口をひらいたけれど、先に男の子に言われてしまった。
「おまえは？  おまえはなんて言うんだ？」
「………………」
「え？  なんだよ、聞こえないぞ」
  女の子は自分の名前を言ったのだが、ぽそぽそとつぶやくように言ったので、男の子
は聞き取る事ができなかった。
「………………」
  女の子は、もう自分の名前を言おうとせず、ただジッと男の子を見つめた。見つめら
れて、にわか男の子は頬をポッと染めた。
  慌てて、男の子はなにか喋る事にした。
「お、おまえここらへんに住んでるのか？」
「ううん」
  女の子は首を横にふる。
「トシは？」
「６つ」
  そう言って、右手をひらいて、左手の指を一本立てて見せる。
「へー、俺より一つ下なんだな。俺は７さいだぜ」
「ふーん…」
  そして、しばらく会話が途切れた。女の子は地面をじっと見つめて、何を考えている
のかわからない。男の子は、女の子が気になってしょうがないらしく、女の子から目を
離せないでいる。
「なあ、なんで、さっき泣いてたんだよ」
「………………」
  やっぱり、女の子は答えなかった。かわりに膝をギュッと抱え込んで、そしてその上
に頭をのっけて、男の子を見た。
  男の子はガラにもなくドキドキしていた。このヘンな気持ちはなんなんだろうと思い
ながらも、女の子からは、やっぱり目が離せられなかった。
「…おかあさまがね…」
「え？」
「…なんでもない…」
  やっと理由を言い始めたようなのだが、女の子はすぐに言うのをやめてしまった。
  それから、何度か聞いてみたけど、女の子もけっこう頑固で、理由を言おうとはしな
かった。男の子は、もう理由を聞くのをやめようと思った。
  男の子はそこいらの草をプチッと切って、得意の草笛をやろうと、口にあてた。
  ピィープゥー…。
  のんびりとした音が草笛から発せられる。女の子は電気が走ったように驚いて、ガバ
ッとばかりに頭を上げて、男の子を見た。
「な、なんだよ…」
  えらい効果があったので、多少面食らったが、女の子は大きな目をますます大きくさ
せて、草笛をジッと見ている。
「なぁに、それ？」
「これ？  これはな、クサブエって言うんだ。見てな」
  口に当てて、もう一度あの音色を出す。
「わぁー…。すごいすごい！」
  女の子は無邪気に喜んだ。おまけに拍手までもしてくれた。男の子はちょっと調子に
のって、しばらく草笛をふきつづけた。唇が少し痛くなっても、我慢した。
「ねえ、わたしにもできるかなぁ？」
「おまえにか？  やってみる？」
「うん！」
  ニコッと笑って、女の子はやっと笑顔を見せてくれた。男の子は手頃な草を切って、
女の子に手渡した。ぽよぽよしてて、柔らかい、小さな手だった。
「いいかぁ？  ここを、こうして…」
「こう？」
「ちがうちがう…」
  何度かやってみて、とうとう女の子の草から、プィーッという音が発せられた。
「うわぁ！」
  パッと顔を輝かせて、今の見た？  とでも言いたそうに、男の子を見た。男の子がう
なずくと、女の子はもっと笑ってもう一度草笛を鳴らした。
「そうだ。ちょっと待ってろ」
  男の子は、何か思いついたらしく、近くの草を何本かぶち切って、そして何か編みは
じめた。子供にしては手先の器用な子である。
「ホラ！」
「キャ！」
  男の子がつくって見せたのは、草でできたバッタだった。ちょっと歪んではいたが、
子供にしてはまったくよくできていたと言っていいだろう。
「これ、全部草でできてるの？」
  恐る恐る、女の子はその草のバッタと、人差し指でちょいとつついてみる。
「そうだよ。さっき俺が作って見せたじゃねえか」
「へー…」
  しばらく、女の子はそのバッタに見入っていたが、今度は男の子に視線をうつした。
「な、なんだよ？」
  視線に気づいて、男の子は聞いてみる。
「…すごいねぇ。わたし、くさからフエとか、バッタができるなんて知らなかった。わ
たしの知らない事、たくさん知ってるねえ」
「そ、そうか？」
「うん！」
  それから、男の子と女の子はたくさんおしゃべりをした。どんな事をおしゃべりした
のか、もう記憶にないけれど、女の子がたくさんたくさん笑ってくれたのを覚えている。
  気が付くと、あたりは真っ赤に染まり、黄昏時になっていた。
「あ、わたし、もう帰らなきゃぁ…」
  女の子が辺りの様子に気づいて、立ち上がった。男の子もそれもそうだと思って、立
ち上がった。
「…ありがとう。今日は楽しかったよ」
「う、うん…。俺も、楽しかった…」
「そっか。じゃあ、どっちも楽しかったんだね」
「そ、そうだな。あ、あのさ、明日も、おまえここにくるか？」
  もし明日来るんだったら、男の子はまたここに来ようと思った。この子に、また会え
ると言うのなら。でも、女の子は悲しそうに首をふった。いつもはもっと遠い所に住ん
でいて、明日にはそこに帰るんだそうだ。
「そっか…」
  男の子が残念そうにうなだれた。
「でも、でも。またいつか会おう？」
  女の子は男の子の手をギュッと握った。
「お、おう。もちろんそうしようぜ。で、でも、いつかっていつだ？」
「…………いつかなぁ…。でも、きっときっと会えるよ」
  どこからそんな自信がでてくるのか、男の子にはわからなかったが、女の子にそう言
われると、そんな気がしてきた。
「んじゃ、んじゃさ。そのいつかってのになって、また俺らが会ったら、おまえ、俺の
ヨメにならないか？」
  随分と大胆な発言であった。でも、男の子は男の子なりに本気だったのだ。いつまた
会えるかわからないのなら、今のうち約束しておかなくちゃ。そう、思ったのである。
「……………いいよぉ。あんたのお嫁さんになったげる！」
  しばらく考えたのち、女の子はにっこり笑ってうなずいてくれた。男の子はパァッと
明るくなって、ニコーッと笑った。
「じゃ、じゃあ、約束だぞ！」
「うん！」
  男の子が小指をだすと、女の子は不思議そうに首をかしげた。
「指きりげんまん。おまえ知らない？」
「…うん…」
「えっとな、小指と小指でつなぎ合わせて約束するんだ。ぜったい約束まもろうってや
るんだぜ」
「へーっ！  わかった」
  女の子はまたニコッと笑って小指をさしだした。その小指をキュッとつなぎ合わせる。
「ゆーびきーりげーんまん、ウソついたらはりせんぼんのーます」
「はりせんぼん？」
  女の子にはわからない事だらけらしく、また首をかしげた。
「…よくわかんないけど、きっとイタイ事になるんじゃないかな。ほら、イタイ事って
イヤだろ。だから、イタイめに合わないように、約束を守ろうってやるんだよ」
「へーっ。本当によく知ってるねえ」
  女の子はしきり感心して、男の子はますます得意になる。
「そうだ！  これやるよ」
  そう言って、男の子はポケットから首飾りを取り出して見せた。銀のクサリに、小さ
なヒスイのついた首飾り。
「…なぁに、これ？」
「かーちゃんの」
「おかあさまの？  いいの？」
「うん！  だって俺の嫁になるんだろ？」
「……うん。そうだね」
  ワケがわかると、女の子はにっこりほほ笑んだ。男の子はもう、そのほほ笑みの虜に
なっていた。
  早速女の子はその首飾りをつけようとするが、うまくいかない。
「つけてやるよ」
  そう言って、男の子は女の子の首の後ろに手をまわした。後ろを向いてもらえば早い
ものを、そこまで頭がまわらなかったようだ。それでも、男の子は女の子に首飾りをつ
けてあげる事に成功した。
「えへへ。似合う？  似合う？」
  女の子はにこにこ笑ってくるくる回った。
「うん」
「キレイ？  キレイ？」
「うん！」
「わーい！」
  女の子は嬉しそうにぴょんぴょん跳びはねた。そして、何かを思いついたようで、ピ
タッと跳びはねるのをやめた。
「どうしたの？」
「わたし、あんたのお嫁さんになるんだよねえ？」
「え？  そ、そうだろ？」
「んじゃあ、キスしたげる！  おかあさま、お嫁さんになるとき、おとうさまにキスし
たんだって」
  無邪気にそう言ってのけ、女の子は男の子の肩に手をおいてそっと唇を重ね合わせた。
「！！！！！」
  男の子はビックリして、真っ赤になった。しかし、辺りはもうとっぷり夕焼けだった
ので、彼の顔がまっかっかだとは、女の子は気づかなかったようだ。
「じゃあ、わたしもう帰るね。また会おうね！」
「う、うん…」
「きっときっとまた会おうね！  約束だよ！」
  女の子は小指を見せてから、そしてカサカサと草をかきわけて行ってしまった。男の
子は、しばらくそこから動く事ができなかった。

  もう、１０年以上になるんだな…。
  ホークアイは窓辺に腰掛けて朱色に染まった夕空を見上げた。あの日の夕焼けも、こ
れくらいに赤かった。
  あの首飾りを見知らぬ女の子にあげてしまった事を、あとでこっぴどくしかられた記
憶がある。おまけに、ホークアイは彼女の名前を聞くのを忘れてしまったのだ。
  １０年以上前の事だが、けっこう覚えている。あの娘が愛らしかったという記憶はあ
るのだが、具体的にどんな顔であったか、今ではもうぼんやりとでしか思い出せない。
  そこへ、不意にドアがノックされ、その音でホークアイは我に返る。
「ホークアイ、夕ごはんができたそうです。早く来て下さーい」
  仲間のリースがドアから顔だけだして、そう報告してきた。ちょっと気になるあの娘
…。気のせいか初恋のあの娘に似ているような気がする…。夕焼けに照らし出された赤
いあの娘…。
  ほんの少しの間だけ、思い出の余韻に浸る。しかし、それもつかの間。
「…わかった。今行く！」
  そう言って、彼はゆっくり立ち上がったのだった。

                                                              オシマイ