ラファを管理人室まで連れて行くと、親が管理人と何か話している所だった。
「あ、ママー!」
「ラファ!」
  デュランはかがんでラファをゆっくり降ろしてやると、彼女は一目さんに母親の元へ
と駆け寄った。リースが靴を履かせる間もなかった程だ。
「ママー!」
「ラファ!  どこに行ってたの!?  ダメじゃない、一人でどこかに行っちゃ!」
「良かった…。案外早くに会えて良かったですね」
「そうだな」
  抱き合う親子を眺めて、デュランもリースもホッとする。
「有り難うございます。おかげで助かりました」
「いいえ、良いんですよ」
  深々と頭を下げる母親に、リースは軽く手をふった。
「じゃあね、ラファちゃん。もうママとはぐれちゃダメよ」
「うん!」
「じゃあな」
「バイバーイ!  また遊んでね!」
  ぶんぶんと手を振るラファに軽くこたえて、二人はまた歩きだす。気が付くと、辺り
は夕闇が空を染めていた。
「……もうこんな時間か…」
  空を眺めて、デュランがつぶやく。そんなに長い間ここにいたつもりはなかったのだ
が、思ったより随分時間を過ごしたらしかった。
「……………その……夕食……く……いや、食べてく……か?」
  見合いの最中だというのを思い出して、デュランは声をかけてみる。
「はい。そうですね。私もおなかがすきました」
  リースがにっこり微笑んだので、デュランも安堵した。断られたらどうしようかと思
っていたのだ。
  あまり高級な飲食店の知識はないデュラン。けれども、この公園の近くで良い店があ
るというのは、聞いていたし、夕食に連れ込むならここに連れて行けと、伯母の入れ知
恵もあった。
  名誉挽回、というつもりで、デュランはこの店にリースを連れてきた。
  噂になるだけあって、内装も洒落てるし、料理も評判の味である。もてなすウェイタ
ーやウェイトレスも周りの客も、この場所に見合った人ばかりである。
  ガラでもない所だが、やはりここは最後にビシッと決めておきたい所だ。
「まぁ…素敵な場所ですね…」
  王族のリースも喜んでくれたようである。
  あまり格式ばった食事は好きではないけれど、確かに味も良いし、なによりワインが
美味しかった。
  最初よりは打ち解けてきた事もあって、それなりに会話もはずんだ。
  これで失敗もかなり挽回できた…ハズだ。
  笑顔で食後のワインを飲むリースを見て、デュランは安堵した。この見合いが成功し
たかどうかわからないけれど、最後くらいは男らしくいきたいものだが…。
  ここが高いというのは覚悟していた。
  しかし、予想外の値段に、デュランは肝を冷やした。
  もちろん、自分としては、かなりの額を入れてきたつもりである。しかしである。こ
んな所普段来ないので、このへんの相場がわからなかった事や、いつもそんなに持ち歩
かないクセもあった。
  それが、今、ここでアダになったのである。
  つまり。金が足りないのだ。
  デュランとしてはもちろん、リースの分も払うつもりであった。
  が、しかし。
「……どうしたんですか……?」
  値段を言われてから、ほうけたように突っ立っているデュランの様子をおかしいと思
ったか、リースが話しかけてくる。
「…………その……………えっと………」
  金が足りないなどと言うのは、はなはだ情けない事であったが、無銭飲食をするとい
うのはさらにもっと情けない事であった。
「………………………お金………………足りなくて……………」
  これほど自分が情けないと思った事はなかった。
「あ、じゃあ、私がお支払いしますね」
  と、リースは難無く言い放ち、その金額をポンと払ってしまった。
「有り難うございました」
「さあ、出ましょう?」
  店員の声を背中で受けて、何事もなかったかのように、リースはデュランをうながす。
  穴があったら入りたいというか、なんというか。
  デュランは恥ずかしくて、情けなくて、どうしようもなくて。
「もうすっかり更けちゃいましたねぇ…」
  月を眺めて、リースは歩いている。夜風が気持ち良くて、リースはぐっと伸びをする。
「デュラン?  どうしたんですか?」
「え?  あ、いや……その……」
「フォルセナは良い所ですね。気持ちよくて過ごしやすいし…」
「………そうかも…な…」
  帰り道。何をどう話したかデュランはあんまりよく覚えていない。とりあえずリース
を送り届けると、がっくりと肩を落として家路についた。


「……ただいま…」
「おかえり。どうだっ………たって…」
  ステラは真っ先に出迎えて、暗い顔のデュランを目にして言葉を失う。
「……あんた……」
「…おばさん…。俺…もうだめだ……」
「もうだめだって…そんな…」
「俺だけじゃない…陛下のお顔にも泥を塗っちまったんだぁぁ…」
  世界が今にも終わりそうな顔をして、デュランはソファに倒れ込んだ。
  ここまで落ち込んだデュランはそう見れるものではない。
「どうしたんだい、一体?」
「………………失敗………大失敗…………」
「失敗って何を?  そんなちょっとやそっとで…」
「………………」
  デュランは無言でポケットから靴下を出してみせた。
「え?」
  ステラはワケがわからなくて、怪訝そうな顔をする。別に手品のつもりでもないよう
だが……。
「………ハンカチをポケットに入れたと思ったら……これ……」
「…………………」
  ステラは思わず口をあんぐり開けてしまった。
「緊張して…汗をふこうと思ったら…これが…出て来て…」
「で、見られたのかい?」
「うん…」
「……………………」
  これにはステラも口を閉じる事ができなかった。
「……………あと…」
「まだあるの?」
「…………うん…。夕食食って…。金…払おうとしたら……」
「もしかして、お金が足んなかったのかい?」
「うん……」
  ステラは天井を仰ぎ見て、ぱしっと額に手を当てた。
「リースが…全部払って……………。……俺………俺……もうだめだよ………」
  さすがにステラもかけられる言葉が見つけられない。
  ため息をついて、首を振るより他なかった。
「………ま、まぁ…陛下も…断られたら…それはそれでしょうがないって……おっしゃ
ってたし…」
  どうにかして、こういう言葉をかけるくらいだったが、それで慰めになるはずもなく。
  デュランは激しくただただ落ち込むばかりであった……。


「はぁ…」
  デュランはため息をついて、リースから借りたハンカチを丁寧にたたんだ。
  伯母に洗ってもらい、わざわざアイロンまでかけてもらったハンカチだ。絹製だろう
か。えらく高級そうなハンカチである。
  これを返したらそこで終わるだろう。
  別に結婚とか、見合いとか、そういうのより、自分の情けなさと、我が王への顔合わ
せができない事、カッコ悪い、情けない所を見せてしまった事。その落ち度が自分とし
てどうしても許せなかった。
  今日は英雄王に呼ばれていた。
  伯母もあきらめたようである。
  出世ができないのは仕方がない。結婚ができなくてもまぁ、そのへんは本心どっちで
も良かったんだけど。ただ、この先そちらへの道は閉ざされそうな気がした。男として
のプライドがズタズタな気分だ。
  この暗い気持ちは一日二日で払拭できそうもなかった。

  暗い顔で登城する。しかし、国王の御前では暗い顔をするわけにもいかなくて、なん
とか御前だけでもとりなおそうとした。
「デュランか…」
「はい」
  なるべくいつものように、引き締めた声を出すように心掛けた。だが、やっぱり怖く
て、申し訳なくて、国王の顔を見る事はできなかった。
「うむ…。時は流れるものよのう…。わしも年をとるわけだな…」
  なにか、英雄王は一人、感慨にふけっているようだ。
「さて、デュラン。日取りの事だがな。やはり、吉日を選ぼうと思っている。式はフォ
ルセナとローラントの間をとってウェンデルで、という事となった。光の司祭殿にもお
願いしようと思ってるんだがな…」
「はい……?」
  どうも英雄王の声は怒ってもいないし、沈んでもいない。いや、むしろ浮き立つよう
な口調なのである。
  デュランは不思議に思って顔を上げる。国王の顔は、明るく、笑顔ではないか。
「え…?  あの…?」
「うん?  どうしたデュラン照れているのか?」
「…………は、はい?  ……え?」
「陛下。まずリース王女の意をデュランに伝えたらどうですか?  性急しすぎて、ちと
ついていけないようですぞ」
  近くにいた大臣が、いたずらをたしなめるようにそう言うと、英雄王も少し顔を赤ら
めた。
「ん?  そうであったな。わしも息子が所帯を持つような気分になってな、つい…。い
や、デュラン。リース王女がおまえを気に入ってな。改めてあちらから正式に結納を申
し込んできたのだよ」
「………………へ…?」
  王の御前というのも忘れて、デュランは随分と間のヌケた声を出した。
「…すこし、寂しくなるが…。めでたい事には変わりないからな」
「………………………」
「子供ができた日には、その子を連れてすぐに戻ってくるんだぞ。それくらい、ローラ
ント側も何も言うまいて」
「まぁ、気が早いですのね」
「いやいやいや、あっはっはっ…」
  王妃に言われて、英雄王は扇子を懐から取り出すと、照れた顔に風をそよがせた。
  周りはついていけないデュランを置いて、話を進めているようである。
  デュランが、あれでOKをもらえたんだとわかったというか、知ったのは、これから
ちょっと後の事である。


  ハンカチを返す時は、見合いの日よりも、幾分かスムースに返せたの事。
  まだちょっと、緊張がとけなかったみたいですけどね。

                                                                      END