「ぶえぇっくしゅん!」
  大きなクシャミをして、デュランはちーんと鼻をかんだ。
  そして、半開きの目をしたまま、枕に頭を落とす。その顔は真っ赤だ。
「うーん…。随分熱があるみたいですね…」
  リースは困ったように、デュランの額に手を当て、そして自分の額にも手を当てる。
「なあ、風邪って、シャルロットの魔法でどうにかならないか?」
  心配そうな顔で、ケヴィンがシャルロットに尋ねる。
「ならないでちよ。ケガの場合はともかくとして、風邪に効く魔法はシャルロット知らないでち」
「そっか…」
「安静にしてるしかねぇな…。この村に医者とかいるんかな?」
  デュランのものも干してやりながら、ホークアイは振り返る。
「さぁ…。小さな村ですからね…。とにかく、薬屋さんでもいいから、宿屋の方に尋ねてみます」
  小さな村の小さな宿屋であるからにして、本当に屋根付きベッドを貸してやるというもの。食事
などは、勝手に作ってくれの方式。宿賃は安いが、サービスはないというヤツだ。
「デュランしゃん。おなかすきまちたか?」
  シャルロットがデュランのベッドに乗り出して、赤い顔の彼をのぞき込む。
「…いや、あんまり…」
「とにかく食べないとダメでち。シャルロットのぱっくんチョコ食べまちか?」
「おい、シャルロット!  病人にそんなもん食わすなよ」
「そんなもんとはなんでちかー」
  シャルロットはぷぅっと頬を膨らませた。
「後で俺が何かあっついモン作るから。おまえはケヴィンと薪を買ってこい」
  ホークアイにはまだ干すものが残っていて、濡れたデュランのズボンをパンッと引っ張って、水
を切った。
「ぷーんだ。いこ、ケヴィンしゃん」
「おう!」
「一束で良いからな」
「わかったでちー」
「あ、村に出るなら私も行きます。なにか、薬が手に入れられるなら良いですしね」
「おう」
  干すものもあともう少し。ホークアイはリースをちょっと見て、次ぎのものを手にかけた。
「……………………」
  さっきから終始無言なのはアンジェラである。ベッドの上に座り込んで、ボーッとしている。
「おい、アンジェラ。ヒマなら濡れたタオルでもデュランに乗せてくれよ」
「……………………」
  声をかけるホークアイをしばらく見ていたが、やがてゆっくりとベッドから立ち上がった。
「ふぅ…」
  やっと干すものを片付け、ホークアイは息をついた
「すまねぇな…」
「あー、気にすんな」
  ベッドの中から赤い顔でそういうデュランに、ホークアイはぱたぱた手を振って見せた。
「さてっと…。とにかく、なんか熱いモン作ってくるからよ。おまえさんは休んでな」
「サンキュ…」
  喉もやられているらしく、普段のデュランの声ではない。
「とりあえず、このドロップでもなめとけ。喉いてぇんだろ?」
「……ああ……」
  ホークアイはまんまるドロップをデュランに手渡すと、すたすたとこの部屋を後にした。
  アンジェラはホークアイと入れ違いにこの部屋に入ってくると、水をはったタライをデュランの
ベッドの枕元に置く。そして、入れてあったタオルをギュウッと絞ると、デュランの額に乗せよう
とひろげる。
「………………」
  アンジェラはタオルを乗せる前に、そっと彼の額に手をのせてみる。
  ……すごい熱い……。
「……はぁ…。冷たくて気持ち良いな、おまえの手……」
  つぶやくようなデュランの声に、アンジェラは真面に顔を赤らめた。思わず手をひっこめる。
「えと…あの……その、…あ、はい…」
  戸惑うようにどもって、アンジェラは気が付いたようにタオルを額に乗せた。
「……ど、どう…?  冷たい…?」
「…ああ……」
  ホッとしたようなデュランの声。その声にアンジェラの方もホッとした。そして、アンジェラは
近くのベッドに腰掛ける。
  もう辺りはだいぶ暗くなっている。そろそろ明かりをつける時刻だろう。
「…明かり…、つけるね…」
  そう言って、アンジェラは呪文を唱えはじめる。やがて、杖の先から光の玉が出現し、ふわりと
天井にくっついた。その要領で、彼女はこの部屋に3つばかりの明かりの玉を作る。
  部屋が随分明るくなると、アンジェラはまた、そこのベッドに腰掛けた。
  そして、ぼんやりとデュランを眺める。
  アンジェラの脳裏に昼間の事が思い出される。
『そのかんしゃく起こすクセひっこめろよな』
  ……デュランだって、けっこうかんしゃく持ちじゃないのさ…。なんて、心の中で言い返してみ
るが、口に出す事はなかった。
  どれくらいの時間が経っただろうか。たぶん、それほど経ってはいないだろうが、アンジェラに
とってはすごく長い時間のように思えた。
『こっちゃ死にかけたんだぞ』
『だがな、時と場合を考えてくれ』
  デュランとホークアイの言葉が交差する。
「…………デュラン………ごめん……」
  アンジェラがつぶやくように言った。
「……あー…?」
  目をほんのちょっとだけ開いて、デュランはアンジェラを見る。
「……ああ……。……今度から気をつけろよ……」
  思い出すようにつぶやいて、それからちいさく付け加えた。元の声量でしゃべる気力もないのだ
ろう。
「………ごめん…。………本当にごめん……ごめんなさい……」
  最後の方はやや涙声になっていた。その声にまた、デュランはうすく目を開けた。
「……もういいから…。…んなツラするんじゃねぇよ……」
「……………デュラン………」
「…おめーがんなツラしてたら…こっちが眠れねーじゃねーか……。眠らせてくれよ……」
「………ごめん……」
  もう一度そう言って、アンジェラは顔をうつむかせた。
  一人にした方が良いかなと思ったアンジェラは部屋を出て、階段を降りていった。
  土間にある台所では、ホークアイが料理をしていた。彼の側にはシャルロットもいた。
「あ、アンジェラしゃん。デュランしゃんの様子はどうでちか?」
「あ…うん……。眠りたいって……」
「そーでちかぁ…。でも、まだおりょーりには時間がかかりそうでちから、ちょーどいいかもしれ
まちぇんね」
  そう言って、シャルロットは一人でうなずく。
「ところでケヴィンは?  一緒に薪を買いに行ったんじゃないの?」
「それがでちね。ケヴィンしゃん、なんか栄養のあるモンあるかもしれないって、1人で森に入っ
てたんでち」
「そっか…。危なく……ないわね…ケヴィンなら…」
  月夜の森という、年がら年中夜であるところで生まれ育った彼の事。ましてや夜は無敵の獣人に
変身できるのだ。心配はいらないというものだろう。
「ところでホークアイしゃん。さっきから何を作ってるんでちか?  パンをちぎって入れるなんて」
「パンがゆだよ。病人には消化の良いもんが一番なの。とりあえず、食ってもらわないとな」
「…へぇー…。でも、シャルロットたちのごはんもそれなんでちか?」
「ああ。ただ、俺たちの分のは後でちょっと味付けするけどな。普通に食べるには味が薄すぎるし
ね。それで良いだろ?」
「シャルロットはいいでちよ」
  そう言って、シャルロットは背伸びしてゆらゆら揺れた。
  しばらく、シャルロットはホークアイの調理してる様子をのぞき込んだり、土間にあるホウキな
んかを触ってみたりしてたが、やがてちょこまかと2階に駆け出す。
「シャルロット、デュランしゃんの様子見てくるでち」
  それだけ言って、彼女はまた階段を駆け登った。
  シャルロットの小さな背中を見送って、アンジェラはため息をついた。
  土間に残された2人は終始無言で、ホークアイの料理する音だけが響いていた。
「なんか取ってきたぞ!」
  勢いよく扉が開いて、ケヴィンが息も荒いまま飛び込んできた。
「ケヴィン…」
「あんまり遅くなるとダメだと思って、あんまり取れなかったけど、とにかくデュランには栄養つ
けなきゃダメなんだろ?」
  ケヴィンはそう言って、あまり大きくないタヌキを床に置く。そして、ふところからいくつかの
キノコを取り出した。
「……へえ…、短い間にしちゃけっこう取ったじゃねぇか…」
  ホークアイは感心してそう言うと、ケヴィンは小さく照れ笑いをした。
「…そんじゃあ、キノコ汁でも作るか…。タヌキは明日にとっとこうぜ」
「うん!」
「よし、じゃあ、ケヴィン。そこのナベに水入れてくれ。そうだな、そのナベ6分目くらい頼む」
「おう」
  ケヴィンは言われた通りに、ナベを取って水を入れ始めた。
「アンジェラ、おまえさん、上に行って荷物の中から干し肉と、酒持ってきてくれ」
「あ、うん…」
  言われて、アンジェラは2階へと上る。古臭い階段はギシギシと音を立てた。
  2階の部屋に入ると、ベッドに横たわるデュランに、シャルロットが何やら話しかけていた。
「それででちね、おじーちゃんがでちね、すってんころりんでね、あいたのうわーで、もう大変だ
ったんでちよ…」
  なんの話をしてるのかよくわからないが、デュランはどうやら寝ていて聞いてないらしかった。
「そんでもってシャルロットがしゅびーんのばばーんで…」
  そしてシャルロットの方もそれに気づいてないようであるらしかった…。
  彼らを無視する事に決めて、アンジェラは荷物の中から、酒が入っているらしいビンと、干し肉
をいくつか持って下に降りる。ちょうど、リースがここに戻ってきたところだった。
「ただいま。たいした物はなかったんですけど、風邪にはこれが良いって、土地の人にいただきま
した」
  リースの手には何か小さな革袋が握られていた。
「…それは…?」
「えっと…、ここらへんに生息するもので、マンゴーシンって言うそうですよ。その実を干したも
ので、これをお茶に入れて飲むと良いそうです」
  言って、リースはくすんだ赤色の実を取り出して見せた。いかにもその土地の民間療法らしい。
「そっか…。サンキュ。とりあえず食後に飲ませてみような」
「そうですね。シャルロットはまだ戻ってないんですか?」
「シャルロットは2階にいるよ」
「そうですか…。あ、じゃあ私、デュランの様子を見てきますね」
「ああ」
  リースは革袋を流しの近くに置くと、2階へと上っていった。
「…あの、酒と干し肉、持ってきたわよ…」
「ああ、あんがと。そこに置いといてくれ」
  アンジェラはホークアイが指さす所に酒と干し肉を置くと、また所在なくぶらぶらと立っていた。
  ホークアイは干し肉を刻んでいると、ケヴィンがナベをのぞき込みながら言った。
「ホークアーイ!  泡がぶくぶくしてきたぞー」
「ああ、わかった。じゃ、ケヴィン、こっちの様子みてくれ。フタからあふれるようだったら、火
ぃ消しちまっていいからな」
「おう」
  交替すると、ホークアイは早速料理にとりかかった。刻んでおいた干し肉を入れ、それからしば
らくしてキノコを入れる。入れ終わるとフタをした。すごく簡単な料理で、自分にもできそうかな、
などとアンジェラは思ってみる。
「ホークアーイ!  なんか、できたみたいだぞー」
  カマドの火を消しながら、ケヴィンが報告する。
「よし、じゃその椀に入れておまえ、デュランに持って行きな。あっついから気をつけろよ」
「おう!」
  ケヴィンはナベの中身を椀にそそぐと、注意深くそれを持ってそろりそろりと2階へと上がって
行く。
  ケヴィンの背中をちょっと見送っていたが、ホークアイはまた自分に仕事にかかる。
  できあがったパンがゆの中になにやら調味料を入れ、味見をする。それから小さく頷くと今度は
キノコ汁の様子を見る。
  テキパキと動きまわるホークアイを見て、アンジェラはなんだか自分がすごく足を引っ張ってい
る存在に思えてきた。
(私…何の役に立ってるんだろう…。攻撃魔法だけしか…、みんなの役に立ってないみたい…)
  そういえば、最近シャルロットの方も攻撃魔法を覚えてきたらしい。どんどん自分の存在価値が
揺らいできているような気がしてきた。
  さらに気が滅入ってきて、ギュッと目をつぶってそこの壁によりかかる。
「オイ、アンジェラ。ボーッとしてねぇで上の連中呼んでこいよ。もうメシできたからさ」
「あ、うん…。わかった…」
  我に返って、アンジェラは2階へと向かう。
  部屋に入ると、デュランがリースに支えられて上半身を起こしているところだった。
「ハイ…、熱いですよ…。気をつけて食べて下さいね…」
  湯気のたつパンがゆを差し出され、ゆっくりとデュランを受け取る。
「デュランしゃん、あーんでち、あーんするでち」
  シャルロットがさじを持って、デュランの口元へ持っていくが、デュランは小さく首をふって、
シャルロットの手からさじを取り上げる。
「シャルロット、デュラン、自分で食べるって」
「ぶー!  せぇっかくこのシャルロットがみずからのお手てであーんしてあげてるってゆーのに」
  シャルロットは頬をふくらませたが、すぐにしぼんだ。
「美味しいでちか?」
「…あんまり…、味がわからん……」
「シャルロット。風邪をひくとね、味がよくわからなくなるのよ」
「あ、そーなんでちか」
「へー、オイラ初めて知った」
  リースに説明されて、シャルロット達はそれぞれ感心した。
「あら、アンジェラ。どうしたんですか?」
  アンジェラに気づいたリースに声をかけられ、アンジェラは我に返る。
「あ、うん。ごはんできたからって…」
「あ、ハイ。わかりました。すぐ行きます」
「ひょー、ごはんでち、ごはんでち」
  できあがった夕食に喜んで、シャルロットは小躍りした。
「じゃ、デュランしゃん。シャルロット達、下でごはん食べてまちね」
「ああ…」
「安静にしてて下さいね」
「……ああ……」
  ダミ声で返事して、デュランは粥をすすった。
  リース達は部屋を後にし、アンジェラはなんとなく部屋に残っていた。
「……どうしたんだよ……」
  立ち去らないアンジェラに、デュランは不審に思って話しかける。
「……ん…、別に………。ただ、あんた、1人でさみしくないかなって…」
「…さみしいも何も…、安静にしてなきゃならんからな…」
  言って、デュランはまた粥をすする。アンジェラは静かにデュランに歩み寄って、彼のベッドに
腰掛けた。
「……何だよ……?」
「……今日のこと…ごめんね………」
「…もういいよ…。済んだ事だし…。これからは気をつけてくれよ…」
  それだけ言うと、デュランは粥をわんごと膝の上に置く。
「…どうしたの?  食べないの?」
「…なんか、食欲なくてな……」
「食べなきゃ治らないんでしょ?  食べなさいよ!」
「そうは言っても……、食欲ねぇんだよ…」
  あれだけ大食漢の彼が食欲がないとは、風邪も重度の方らしい。
「ダメよ。食べなさいよ。せっかくホークアイが作ったのに」
「…ああ……」
  食べなきゃいけないというのは彼もわかっているらしく、のろのろとさじを口に運ぶ。
「………口移ししたげよっか?」
「ブフッ!」
  アンジェラの突然の発言にかゆを吹き出すデュラン。
「な…、なにやってんのよー!」
「お、おまえがいきなりヘンな事言うからだろーが…」
  デュランは口をぬぐい、慌てて吹き出したものをつまみ取る。
「……そう…。じゃ、それを全部食べないのなら、口移しで食べさせるわ?  どう?」
  冗談とも本気ともつかない調子でアンジェラがデュランにすごむ。一瞬、アッケにとられたデュ
ランだが、すぐに我に返って粥を食べ出した。
  ちょっと残念な気がする……。
  空になった椀を見つめながら、アンジェラは苦笑した。
「…………ねぇ、デュラン………」
「あん?」
  ベッドに腰掛けながら、横になるデュランを眺める。
「……私が風邪引いたら、みんな…、こうやって面倒みてくれるかなぁ……」
  子供のころ、風邪を引いた時でも、母親は自分のベッドに現れなかった。面倒をみてくれたのは、
侍女やじいくらいだった。不自由があったわけではない。でも、寂しかった。
「…んなの当たり前だろ…」
「…そ、そうかなぁ…」
「……なに言ってんだ……、おまえ……」
「…だって、なんか、私…みんなの足、引っ張ってるみたいで…」
「………そんなこと関係あるかよ……。そんなの…お互い様じゃねーか…」
「……………………」
「面倒も見たくない…、心配もしたくない…、そんなヤツと旅ができるかよ………」
「…う、うん……、そうだね……」
  アンジェラは少しだけ泣きそうな顔でほほ笑んだ。
「…もう眠らせてくれ……。なんか、ひどくだるいんだ……」
「うん…」
  ちょっとだけ目をこすり、アンジェラはうなずいた。やがてデュランはたいして時間を置かずに
眠ってしまったらしく、寝息をたてはじめた。
「……デュラン……?」
  呼んでみるが返事はない。本当に寝てしまったらしい。
「……もう寝ちゃったの…?」
  デュランの額の上に濡れたタオルを乗せようとして、そこで何か思いついたらしく、しばしジッ
とデュランの寝顔を見つめた。
  そして、軽く彼の額にキスをすると、濡れたタオルを乗せ、ベッドから立ち上がった。
「……ありがとう…。…おやすみ、デュラン…」
  入り口からささやくように声をかけ、それから、アンジェラはドアをパタンを閉めた。



                                                                   END