古ぼけた桶をのぞき込むと、濁った水にうっすらと自分の顔が映ったのが見えた。
昔に比べ、少し拗ねた顔付きになっている気がする。けれど、その顔付きに幼い面影が薄くなりつつあるのを一瞬認めてから、手にしていた雑巾をその中に放り込んだ。 じゃぶん、じゃばあ、じゃぶじゃぶ…。 濁った水面に映った自分の顔はすぐにかき消され、汚れた水に白い雑巾がゆらゆら揺れる。その雑巾を取り出して、両手でひねると水が絞り出されて落ちた。 雑巾を固く絞った後、それを開いて床に広げると、その上に両手を乗せて四つん這いの格好で走り出す。 この時間は掃除の時間。この広い日本の屋敷で着物を着せられて、たすき掛けをして、台湾は廊下を雑巾がけしていた。 この生活が始まってどれくらい月日が経ったのか。 あの時、清が勝手に戦争に負けて、勝手に日本に譲渡したからこうなったのだと聞いた。そもそも、大陸の人間は自分を厭ってあまり近づかなかったくせに、何と勝手なものだと思った。 …確かに、日本が来てから自分が変わったのは事実だけど。 ずっと幼いままの姿で、自分はそういうものだと思っていた。しかし、身体の汚れをとり、教育を施され、食事を与えられて、自分が周りの人間と同じように成長を始めたのには驚いた。 確かに、以前に比べて口にできるものが明らかに増えた。身体を綺麗にすることで衛生面がよくなり、調子を悪くする事も減った。字を覚えて読み書きしたり、計算する事を覚えてから色々と考えるようになったけれど。 あの、上からものを見る目線は腹立たしかった。 ひたすら安い賃金で働かされて、稼ぎはほとんど持っていってしまって。その現実も苛立たしい。 部屋の向こうから、日本人達の会話が聞こえてきた。 「……そろそろ良いんじゃないですか?」 「…まだ、少し早いのではないか…?」 「台湾に投資し続けたのは、このためもあるのだぞ」 自分の名前が出てきた事に反応して、台湾は顔をあげた。 「もちろんわかっていますよ。ただ、少し早すぎないかというだけで…」 「なにより、これからの事を思えばこそだ」 「それはそうなんですが…」 二人の日本人は、どうやら自分の事で、早いか早くないかでもめているらしい。彼らは時々ここに来て、台湾の仕事や勉強内容などを日本と話し合っている者達だ。 しかし、一体、自分の何が早いともめているのだろうか。 とはいえ、彼らが自分の意見など、そう聞いてくれようはずもない。台湾は小さく息をつき、雑巾を桶の中に突っ込んで、その取っ手を持って立ち上がる。 まだ、掃除する場所が残っていた。 長い廊下を歩いていると、突き当たりの曲がり角から、日本人の中年の女性が見えた。自分の姿を認めると、こちらに歩いてくる。 「ここにいたのね。今日は、掃除はもう良いから、少し早いけど夕食をとってちょうだい」 「え?」 「それが終わったら、湯に入ってよく身を清めるんですよ。お風呂の準備はこちらでしておきますから」 そんな事は初めてだ。一番風呂など入った事などなかったし、風呂の準備は大体自分の仕事だったのに。 掃除用具を片付けて、言われた部屋に行ってみれば、既に膳が用意してあって、御飯や味噌汁には湯気が昇っていた。 「……?」 人の気配はするのだが、こちらに姿を見せないようにしているらしかった。誰かに見られている気配もする。 「…いただきます……」 随分流暢になった日本語でそう言って、箸を手に取った。日本のしつけは厳しくて、特に礼儀に関してはうるさい男である。また、時間にだらしないのが許せないようで、遅刻するとよく叱られた。 よく、あんなに四角四面に生きられるものだと思う。 まあ、時間を守るというのは、悪い事だとは思わないけれど、うるさすぎやしないか。 とはいえ、自分も慣らされたものである。御飯に味噌汁、漬け物に焼き魚など、日本が来るまでは食べた事がなかったものもあって、最初は味付けが慣れなかったものだが。添えてあるバナナは、自分にとっては馴染み深いものであったけど。 しかし、今日は不可解である。 夕餉の後は、着替えをもって風呂に向かうと、そこには裾をまくり袖をたすき掛けにした、若い日本人女性が待っていた。 「え?」 「身体をよく清めるようにと言われています。さ、準備してください」 やっぱり、こんな事は初めてだ。 その若い女性に手際よく身体を洗われて、背中を流された。 絶対、何かあると思うのだけれど、それが何かわからない。 小紋の花柄が可愛らしい寝間着を着せられて、奥にある小部屋に通された。日本の屋敷は広く、掃除しなくて良いと言われている所もあり、こんな小部屋があった事など知らなかった。 「それでは、日本様がお着きになるまで待つように、との事です」 そう言って、その若い日本女性は軽く会釈をして去って行く。台湾は彼女をそれとなく見送ってから、この畳敷きの部屋を見回した。 広さは四畳半程で、天井から裸電球が一つぶらんと垂れ下がっている。やけに高い所に小さな窓が設けられており、この部屋の窓はそれだけだった。壁の端には、小さめの戸があったので開けてみたら便所である。掃除された跡はわかったが、全く使われてないようで、便所のくせにたいして匂わなかった。 一番わからないのは、布団が一組だけ敷かれている事である。しかも枕が二つ並べられているのがまさに不可解であった。 (なに? 何なの? 本当に一体、何があるの?) 事情がさっぱりわからないまま、台湾は部屋の真ん中に敷かれた布団の上に座り込んだ。 「え? 今日ですか?」 靴を脱ぎ、玄関を上がってすぐの事、日本は自分を取り巻く日本人達を見る。 「そうです。準備も整えておきました」 またお節介な事をしてくれたなと思いつつも、彼はそれを表情には表さない。 「…しかし、まだ早すぎやしませんか?」 「もう頃合いかと思います。それに、これはあなたにしかできない事なのです」 「それは、確かに、そうなのでしょうが……」 いまいち乗り気ではない日本に、廊下を歩く彼に群がる二人のうちの一人が負けずに言い募る。 「確かに、今の台湾が貴方を満足させる事ができるとは、私どもも思っていません。しかし、これからのことを思えば、早い方が良いのは明白ですよ」 「あなたがたの言いたい事もわかりますが…」 「よろしいじゃありませんか。彼女の容姿はあなた好みでもあるはずですよ」 「………………」 そんな事まで言われて返す言葉もなく、日本は立ち止まって呆れたように自分を取り巻く彼らを見た。他人事だと思って、させるだけの方は気楽なものである。 確かに、彼らの言っている事は本当の事だけれど。しかし、好みといってもいくらなんでも若すぎる。もう少し彼女が大人になったら、まあ、それは日本も考えるところはあるけれど…。 とはいえ、ここまでお膳立てされたら、上司命令と受け取って良いだろう。それに従うしかない日本は小さく息をついた。 「…まあ、不安でしたら、台湾の様子を直接見てからご判断なさっても良いと思います」 そこまで言われて、日本も腹をくくる。これは仕事だと割り切った方が良い。それに、自分が一番適任だと彼らもよくわかっているから、こうしてお膳立てしたのである。 「…わかりました…。ともかく、食事と湯を先にさせてください。ちょっと疲れましたので」 「はい」 観念したように言う日本に満足して、二人は安心して頭を下げた。 待つというのはヒマである。 布団が敷かれているのを良い事に、台湾はそこに大きく寝転がってうとうととしていた。 「台湾。待ちましたか?」 引き戸の向こうで日本の声がして、閉じていたまぶたをうっすらと開く。 「…………」 目をこすりながら上半身を起こすと、日本がこの部屋へ入って来た。白いランニングにズボンといった格好で、どうやら湯上がりらしかった。 「…待ったわ……。…ところで今日は一体何なの? みんなの様子もおかしいし」 周りに日本人がいたら、その口の利き方に絶対何かを言っただろうし、彼自身も注意した事だろう。だが、不思議に今日はそこのところを咎めようとはしなかった。 「……まあ…、私達がおまえに投資してきた理由の一つ……とでも言いますか…」 何故か、日本は引き戸の取っ手に錠をかけ、その鍵を戸の上にある釘に引っかける。とてもではないが、今の台湾の手に届く場所ではない。 閉じ込められたと気がつく前に、冷たい目線で見下ろして、彼は彼女に向かって言い放つ。 「それはともかくとして。服を脱ぎなさい、台湾」 もちろん、突然そんな事を言われてすぐに言う事を聞く台湾ではない。激しく気色ばんで、目をむいた。 「…は、はあ!? ナニ言ってんの!? いきなり脱げってなにそれ!? この変態!」 「……早く服を脱ぎなさい」 悪態をつかれた所で何一つ動じる事なく、日本は再度そう命令した。 「…う……」 基本的に彼は大概に真面目で、冗談の類を口にしている所も見た事がない程である。そして、今もまた、大真面目な顔してそんな事を言っている。 「………………」 相手は武器も持っていないが、かといってまともに戦って勝てる相手ではない。逃げ場は便所くらいだが、そこはハッキリ言って逃げ場とは言い難い。 酷い目に合わされる事など、今に始まった事ではない。台湾はぎっと奥歯を噛みしめて、やけくそのように自分の帯に手をかけた。 「…こ、これで、いいの……?」 頬を赤らめながら、手にした寝間着で胸や下半身を隠す。日本は相変わらず読めない瞳で台湾の方をじっと見つめている。 「なによ……な、なんとか……言ったらどうなのよ……」 黙りこくる日本が不気味で、台湾はそんな事を言う。 「……気をつけーっ!」 突然、日本がそう叫んだものだから、驚いた台湾はついつい、反射的に気をつけの姿勢を取った。生来はのんびり屋な性格な彼女だが、一事が万事その性格を発揮する事を日本は厭い、規律を身につけるためだと、軍隊式の体育訓練を定期的にとらされている。いい加減それに慣らされてきたが、まさかこんな所で条件反射として出されるとは。 「あ…」 気がつけば、着物ははらりと下に落ち、文字通り一糸まとわぬ姿を日本にさらす事となる。 白い肌に、膨らみ始めた胸。肉付けが良いとはとても言い難く、まだまだ子供の体型である。 しかし、人間の身体的に言えば、子供が産めるくらいまでには成長したようだ。 「…毛が生えたようですね、台湾」 「はあ!?」 あまりと言えば、あまりな日本の言葉に、台湾はカッと顔を赤らめる。彼の言葉が何を意味するかは、台湾にもわかる。成長の止まっていた自分の身体なのに、背が伸び、胸もふくらみはじめ、そして大人への体つきへと近づいているのだ。 彼は、子供の身体では生えない場所の事を言っているのである。 失礼にも程があるだろう。 「…少し早いですが、まあ大丈夫でしょう」 「何のハナシよっ!?」 「……私の相手をしてもらいますよ、台湾」 「…一体、何を……」 ゆらりと日本が動き出し、台湾は後ずさる。あの読めない瞳が今は怖かった。 …続きは同人誌で…。 続きが18禁なのでマジ載せられません。の第二段。 史実下敷き系のお話ですが、相当に加味が入っております。 日本が鬼畜で軍人系なトコロもありますので、割り切って読める方に。 |