吐く息の白さを見て、そして薄明るい魔法の光をぼんやりと眺める。
「寒いね…」
「ああ…」
  今日も寄り添うように、そっと座り込む。
  カノープスは、今、かなり悩んでいた。
  昨日気づいた事なんだが、けっこう深刻になりつつある。
  言うべきか、言わざるべきか…。
  言って相手に気づいてもらうべきか…。でも、そうしたら…。
  大きく息を吐き出した。
「どうしたの?  そんな大きなため息ついちゃって…」
  光はもうそんなに明るくない。エルヴィラの顔がよく見えない。しかし、見えずとも体温は直に伝わ
ってくる。
「………………………」
  言うか、言うまいか、ずいぶん迷っていた。
「どうしたのよ?  本当に…」
「うん…。いや、そのさぁ…」
  うながされるままに、カノープスはつぶやくように言う。
「エルヴィラ…」
「うん?」
「あのよー…、なんつーか、俺に気をつけたほうが良いかもしれねーぜ…」
「……な、なに言ってるの?」
  わけがわからない、というふうにエルヴィラが言った。
「………俺、なんか自分の理性に自信が持てなくなってきた…」
「………………………」
  エルヴィラからの返答はない。
  ずいぶんと長い間、静かだったような気がする。その沈黙がどれくらいだったかはわからない。
  その沈黙をやぶったのはエルヴィラだ。
「…それって…。あの…。もしかして…」
「……寒いのはわかってるんだ、寒いのは…」
  そしてまた、沈黙が支配する。
「あの、そう言われても、私困るんだけど…」
「俺も困ってるんだ」
「俺も困ってる、とか言われても…。私はどうすれば良いの?」
「どうすればって言われてもなぁ…」
  そればっかりはカノープスはどうこう言いようがない。
「どうにもこうにも。あなたに我慢してもらうしかないじゃない」
「……それは、わかってるんだけどね……」
  苦笑しながら、ため息をつく。この感情は女にはわかるまい。
  ………そういえば、ここんところ、女なんか抱いてなかったよなあ……。
「……何か言った?」
「い、いや!?」
  声に出してないはずのなに、カノープスはビックリして、声が大きくなった。
「……ともかく…。眠ってよ。眠るしかないわ」
「…そうだな……」
  という会話が終わってから、どれくらい経ったのだろうか。
  おそらく、もう2、3時間は過ぎたんじゃないかと思われる。
  カノープスの目は逆にらんらんに覚めていた。
  エルヴィラは眠ったんであろうか。息遣いはそうであるような、そうでないような…。
  彼も目をつぶって懸命に眠ろうと努力しているのだが、目をつぶると、神経がエルヴィラとくっつい
ている所に集中してしまうのだ。
  決して胸とか、そういう場所が当たっているわけではないのだが…。
  ダメだ!
  カノープスは心の中でさけんだ。
  しかし、手を出せばどうなるかは大体予想がついていた。
  ここは、我慢だ!  我慢するしかないんだ!
  拳をにぎりしめ、なんとか自分に言い聞かせるのだが…。暑さとは関係がないほど、体が熱い。
  カノープスは、エルヴィラの事は好きである。恋愛の対象かどうかとか考えた事なかったが、ともか
く、気に入っていた。
  素早い決断力に、素晴らしい指導力。冷静な判断力。そして、仲間に向ける暖かい態度。
  革命の時、彼は彼女をリーダーとして、完璧に認めていた。少し誇らしい気持ちを持っていた程だ。
  リーダーとして認め、そして…。そして?
  個人的なつきあいは、ないこともない。しかし、それはカノープスだけでないだろう。どちらかとい
うと親しい方に入るが、ものすごく親しいというわけでもない。
  別にものすごく好みというわけでもない。狂おしい程に想っていたわけでもない。好きは好きだが、
男女間のそういう好きかどうかとか考えた事もなかった。
  しかし、こうして今、必死で理性を活かしている。
  俺は、ただ女が欲しいのか……?
  だが、このごろ女を抱いていないが、全然平気だった。女好きというわけでもないし。
  じゃあ、一時の気の迷いか?
  自分でそう考えるのも、なんだかな、とも思うが。
  このわきあがる熱いものを、エルヴィラにもわかってほしかった。必死で呼吸をととのえ、なんとか
気づかれないようにするのも一苦労なのだ。
  汗がでてきた。
  ……汗……?
  このクソ寒いというのに、汗だと…?
  カノープスはなかば呆然としながら汗をふいた。
  その時、ちょっとエルヴィラのどこかにぶつかった。本当にちょっとだけ。
  エルヴィラの体がビクッとはねた。
  寝ていない!?
  寝ているものだとばかり思ったが、どうやら彼女の方もずっと起きていたようである。
「エルヴィラ、おまえ…」
  カノープスは彼女の肩に手をふれた。
「ぅわっ…」
  カノープスは、ふれただけと思っているかもしれないが、実はかなりの力が入っていたかもしれない。
小さく悲鳴をあげて、エルヴィラのバランスが崩れた。
  内からの欲望をおさえる事はできなかったようだ。無意識にも、彼女を押し倒していた。
「…………………」
  ものすごく薄い光なのに、エルヴィラの見開いた目がよく見えた。
「…お、俺…、もう……」
  かすれたような、絞り出すような声がカノープスの口から漏れた。
「ちょっ…」
  カノープスがエルヴィラに覆いかぶさろうとした瞬間。
  ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッッ!
「どおぅわっ!?」
「きゃあっ!?」
  激しい揺れが二人をおそった。
  たまらなくなって、カノープスがベッドから転げ落ちる。エルヴィラはその上に落ちた。
「あでっ!」
「きゃぁーっ!」
  埃がパラパラと落ちてくる。
「エルヴィラっ、つ、つかまれっ!」
  言いながらも、エルヴィラを抱き締めカノープスは翼をはばたかせた。エルヴィラはとっさに自分の
剣と聖剣ブリュンヒルドをつかむ。
  チクリとした痛みが走ったが、そうも言ってられない。
  なにも見えやしないが、とにかくこの廃墟から飛び出さなければならない。
「カノープスっ!  翼、大丈夫なの!?」
「なんとかっ!  ……な、なんだありゃあ!?」
「えーっ?  なになに?」
  カノープスのすっとんきょうな声に、エルヴィラは体をひねってその方向を見た。
「……光ってる?  なんで光ってるの!?」
「俺に聞くなよ。あ、でも見ろよ。だんだん見えてきたぜ」
  揺れにより、邪魔な上の部分が消えていく。
「あ、あれは…」
「カオスゲート!?」
  しかし、間違うはずもない。あの魔方陣のような円陣はカオスゲートだった。
「ブリュンヒルド…、光ってる…」
  いつも弱い光を放つのだが、今は点滅するように強く光っているのだ。
「……ねえ、あのカオスゲート、どこに続いているのかな?」
「おまえ、まさか…」
「カノープス!  行ってみよう!」
  ブリュンヒルドの光に照らされて、好奇心に満ちたエルヴィラの顔が見える。
「それに見なよ!  自信によって地割れが閉じようとしている!」
  ハッと上を見上げると、星空の視野がどんどんせまくなってくる。
「ちっ、しょうがねーなー」
  別に、言葉ほどしょうがないと思っていないようで、口に小さな笑みを浮かべ、カノープスは青く光
るカオスゲートへと突っ込んで行った。
「聖なる剣ブリュンヒルドよっ、汝の力をもって、扉の封印を解かれたしっ!  開けっカオスゲート!」
  エルヴィラは聞いて覚えた呪文を唱え、ブリュンヒルドを高く掲げる。剣の光はさらに強くなり、辺
りを目映いばかりに照らし出す。そして、それに呼応するかのようにカオスゲートも青白く、そして強
く光を放つ。
  二人はその光に飲み込まれるように消えて行った。
  そしてすぐ。そのカオスゲートの上にどかどかと岩などが落ち、月明かりも星明かりも、見えなくな
った。

「……ここは?」
「…知らねぇ…」
  どこもすでに寝静まっている時間で、ここがどこなのかを聞きようがない。
「…しょうがないなぁ…。教会にでも行くかぁ…」
「んだな…」
  この時間、起こしても怒られないのはそこくらいしかない。
「でも、教会ってどこだ?」
「……………………」

「翼、大丈夫なの?」
「全快というわけでもないが、飛べないわけでもない。だいぶ治ったようだ」
「そう…」
  夜風を突っ切って、とにかく天に浮かぶ島を飛ぶ。伝説にすぎないと思っていた天空の島が存在し、
伝説だと思っていた天空の三騎士と共に戦った。
  彼らは後々に伝えられる英雄伝説の主人公だったのだ。
  だが今は、暖かいベッドと、美味しい食事が食べたかった。
「あ、あそこ城じぇねー?  きっと夜営の門番がいるぜ」
「じゃ、そこに行ってみようよ」
  暗いので、地形はよくわからないが、どこかで見覚えがあるのは確かだ。
「あの〜、すいませ〜ん」
  とても眠たそうな門番兵士に、エルヴィラが声をかける。
「んー?」
「あの、ここ、どこでしょうか?」
  ずいぶんと間抜けた質問だが、相手は寝ぼけているようだった。
「どこって、おまえ、ここは龍牙のフォーゲル様の居城、シグルドに決まってんだろ〜」
  エルヴィラとカノープスは顔を見合わせた。
「あぁ〜ん?  なんだっておまえら、こんな夜中に道を尋ねたりするんだ?」
「え?  あ、えっと、それは、話せば長い事で…」
「そ、そうそう!  ちょっとわけアリで…」
  なんとかごまかそうとする二人だが、門番の目がだんだん見開いてきた。
「…怪しいヤツらめっ!  だれだお前達は!?」
「あの、名乗って良いんだけど、こんな夜中だし〜」
  革命を成功させた勇者エルヴィラと言えば、シグルドの門番だってわかるだろう。だが、こんなトコ
で言ったところで、信じてもらえるかどうかは、はなはだ疑問である。
「来いっ!  取り調べだっ!」
「あ、ちょっと…」
  エルヴィラの腕をとり、ずるずると引きずられるようにシグルド城へと入って行った。

「名前はっ!?」
  こんな夜中に仕事をさせられる気分は良くないに決まっている。兵士長はイライラした様子で、ペン
をトントンさせている。
「エルヴィラ…。エルヴィラ・マーティス…」
「カノープス・ウォルフ」
「年齢はっ!?」
「……………24…」
「えー?  おまえそんなトシだったかぁ?」
「う、うるさいわねっ!  良いでしょーがっ!」
「ちょっと前まで10代とか言ってなかったかぁ?  サバよんでたのか、ありゃ」
「しっつれいね!  それに、前に10代だったのはウソでも何でもないわよ!」
「そりゃそうだが…」
「おまえら静かにしろ!  今何時だと思ってるんだ!?」
「……………………」
  それを言われると返す言葉がない。
「エルヴィラ…?  エルヴィラって、まさかあの?」
「なんだ、おまえ知ってるのか?」
  不機嫌そうな兵士長が、そこにいる兵士をにらみつける。
「え?  あ、その…。ホラ、あの勇者様であるエルヴィラ様ってのがおられたじゃないですか…」
「あ、あーあー!  ……で?  この女がそのエルヴィラ様だって言うのか?」
「いや、だから、名前が同じだなって…」
「あーそうかよ!  あのなぁ、そんなことあるわけないだろ?  あのエルヴィラ様は、いまごろ下界で
ご就寝のハズだっ!」
  しかし、今は彼らの目の前にいるのである。
  彼らは、間近でエルヴィラを見た事がない。名前だけしか聞いておらず、わからないのも無理はなか
った。
「…んーと…。信じてもらえるかどうか、ちょーっと、わかんないんだけど…。そのエルヴィラって、
このエルヴィラなのよ…」
  ややひきつった笑みを浮かべ、エルヴィラは自分を指さす。
  その時の兵士長の顔ほど、なかなかにすごい顔をしていた。
「……貴様らなぁ…。冗談にも程があるんだぞっ!  牢に入れられたいのかっ!?」
「いや、別に冗談言ってるつもりはないんだけど…。……そうだ!  ここがシグルドならフォーゲルに
合わせてよ!」
「馬鹿言うなっ!  天空の騎士様である、フォーゲル様が、貴様らなんぞにどうして合わねばならんの
だ!?  それに、フォーゲル様を呼び捨てにするとはっ!」
「いーじゃないのよ。本人だって別に良いって言ったんだから」
「ウソをつけっ!」
  一方的に決めつけて、兵士長はばさばさと頭をかいている。たたき起こされてかなり不機嫌になって
いる。
「それに、どうしてお前達みたいなのがそんな立派な剣を持ってるんだ?」
  とりあえず押収しようとしたのだが、拒否されて、エルヴィラの手にあるブリュンヒルドを指さす。
「これは…」
「大かたどこかから盗んで来たんじゃないのか?」
  さすがにこれには、二人ともカチンときた。
「……寝起きで機嫌悪いのはわかるけどね。そうやって決めつけてばかりだと、兵士長としての器が問
われるってものよ」
  ざわりとした気を放ち、エルヴィラが言う。
  そのただならぬ気に、その場にいた兵士たちはたじろいだ。凡人が出せるような気ではないのだ。
「へっ、兵士長…。もしかして、もしかしなくても、エルヴィラ様本人なのでは?」
  こそっとそこの兵士が兵士長に耳打ちする。
「う〜ん…」
  兵士長も難しい顔をして、目の前のふたりを交互に見た。
  もし、彼の言う通りエルヴィラ本人であったら、こちらは大変な無礼をしている事になる。だが、偽
物であったら彼らは大変な不届き者であり、またその不届き者を自分たちは罰しなければならない。
  本物か、偽物か。それを見抜くのは、兵士長としての器を問われるところとなるのだ。
「…では、本物のエルヴィラ様かどうかこちらにわかるような証拠は…?」
  言われて、彼らは顔を見合わせた。
「証拠と言われても…。私に会った事がある人、じゃあ、覚えてなさそうよね…。これはフォーゲルに
確かめてもらうしかないもの」
「それでは、我々もそれなりの処置をしなければならん。もし、本物であるならば、フォーゲル様に会
う資格があるものだが、もしそうでなければ……」
「…じゃあ、こうすればどうだ?  エルヴィラをフォーゲルに会わせる。偽物ならばその場で殺されて
も文句は言えないんだろう?  なら、フォーゲルなり誰なり、俺たちを殺せば良い。偽物ならね」
  カノープスは肘をつき、兵士長を見据える。
「…………………」
  どれくらいの睨み合いが続いただろうか。兵士長は小さく息をはいた。
「わかった…。では、こちらもそのようにフォーゲル様にお伝えする。今夜は休むが良い」
  そう言い残すと、席をたち部屋を出て行った。

                                                          to be continued..