「うえぁっ!」
  思わず悲鳴をあげる。クモが目の前を横切ったのだ。
  元の自分の大きさとは違い、ここは別世界。クモやハエが大きいのだ。
  バッツよりは小さいかもしれないが、腰くらいまではゆうにあるだろう。
「うえ…」
  クモがこんなにも気持ち悪いものとは。いつもなら見えないような、細かい毛までも、今ははっきり
見える。
「うげげげ…、気持ち悪ゥ…」
  全身鳥肌が立つ。幸いクモはそのまま通り過ぎた。
  ほぉっと一息ついたとき、後ろの殺気にバッツはハッとなる。
  彼が振り向いた瞬間、そいつはバッツ目がけ後ろから襲いかかった。
「わぁっ!」
  ドサッ!
  避けようと思ったが、そいつは異様に素早くて、すぐに取り押さえられてしまった。
  そいつは、さっきとは違う種類のクモだった。
  そのクモは、今にもバッツを食いそうに、顎を動かしている。
「くそ!」
  もっていた金の針でそのクモの頭をたたきつける。驚いたのか、クモは素早く後ずさった。しかし、
クモはガッチリとバッツをつかんだままなので、結局バッツも一緒になって転がされてしまう。
「うあ!  離せよこのバカ!」
  慌てて爪から逃れようとするが、引っ掛かってなかなか外れない。
  その間にもクモはバッツを食おうと頭をもたげてきた。
「なんのっ!」
  針で、下からクモの頭目がけて勢いよく突き出した。
  ブチュリと音がした。しかし、クモはなおもバッツを食おうと顎をカチカチさせる。
「しつっこいな!」
  針を突き刺したまま、バッツは下から懸命にクモを蹴り上げる。それが効いたか、クモはバッツをツ
メから離し、ひっくりかえった。そこを逃さず、バッツは針を手に取り、さらにダメージを与えようと
激しく動かした。
「くそったれぇい!」
  クモはうめくように顎を鳴らしていたが、やがてそれは動かなくなった。
「やっとかよ…。虫の生命力はバカにできねーな。いつもなら踏み潰してしまいなのによ」
  クモの頭から針を引き抜き、辺りを見回した。薄暗く、視界はよくない。
  なんとかここから脱出するべく、歩き回る他ない。
  レナからもらった金の針を握り締め、恐る恐る歩く。
  まさかこんなかたちで、こいつが役に立とうとは考えてもみなかった。
  今では虫も立派なモンスターである。気を抜いてはならない。しかも、今は独りだ。

「大丈夫かしら…バッツ…」
  さっきからずっと探しているが、まったく見当たらない。レナは不安そうに辺りを見回した。宿屋内
だけでも、あのバッツを探すのは苦労だろうに、外に連れられたら、どうしようもない。
「大丈夫だよ、あいつだってヤワじゃない」
  言って、ファリスはレナの肩をやさしく叩いた。
  あの時、ちゃんとバッツをおさえていれば、猫に取られる事もなかっただろうに…。なんて後悔しは
じめると止まらない。
「とにかく、探すしかあるまいて…」
  ガラフはそう、とりなすように言って、バッツを探しはじめる。
  レナはため息をひとつつくと、また彼を探しはじめた。

  この天井裏、このクモの種類がやたら多いらしかった。このクモ、みんなバッツがエサに見えるらし
く、みんながみんな襲いかかる。
  あれから、何匹のクモを殺したんだろうか。絶対10匹はくだらない。
「あーあ…。ギルも落っことしていかないんだよな…」
  やや顔をしかめ、クモを見た。いいかげんこのクモとの戦闘に慣れてきたが、こんなふだんは気にも
止めないクモ相手に慣れたところで、実践に役立つようには思えない。
  ため息をなぎ払うように、バッツはまた、どこにあるかわからない出口目指して歩いた。
  腹が減った。とにかく腹が減った。一体、どれくらい食べていないんだろうか。
  あまりの空腹感に、目がまわりそうだ。
「…くっそー…。せめて、せめて水だけでも…」
  喉もカラカラ。辺りは埃っぽい。
「こんなことで、こんなことでくたばってたまるかよ…!」
  そう自分に言い聞かせ、針を杖代わりに歩く。自分では相当歩いたつもりなのだが、元の大きさなら
50歩にも満たない。
  それでも、薄暗い天井裏で、下から漏れる強い光を発見した。
「やった…」
  急いでその透き間に駆けつける。丁度バッツが入るくらいの大きさだ。
  そこから下をのぞき込む。
「ポーションと毒消しを2つずつください」
「はい、まいど!」
「こ、ここは…道具屋じゃないか…」
  そうだ。このおやっさんには見覚えがある。
  どうやら、道具屋の上まで歩いて来たようである。
  そして、その道具屋に並んでいるのは打ち出の小槌!  あれさえあれば、こんな苦労しなくってもい
いのだ。
「おーい!  おーい!  おやっさーん!  おーい!」
  何度も叫んだ。呼んだ。が、しかし。おやっさんは忙しいのでとても気づきそうにない。
  下に降りたくても、この高さ心配だ。もしかすると、あそこのカウンターの上のタオルにうまく着地
できれば、平気かもしれない…。
「やってみるか…?」
  しかし。高所恐怖症のおかげでなかなか決心がつかない。
  こ、こわい。だけど、このままではなにも始まらない。でも、こわい。
  バッツの心で、この葛藤が30分程続いた。
  空腹は思考力を低下させる。ここから落ちたって、少し真下にないタオルにまで落下する可能性など、
ほとんどないはずなのに。
「ええい、なんとかなるさ!」
  バッツは無理矢理自分にそう言い聞かせ、かなりヤケクソになって、えいやっとばかりに、タオル目
がけてその穴に身を投げた。
  落ちている時だった。
「ああーっ!  もしかしてレビテトかければ良かったんじゃないのかーっ!?」
  落ちながら、バッツは猛烈に後悔した。自分は今、時魔道士なのだ。
「い、今からでも遅くないかも!」
  そう、思い直し、素早く呪文を唱えた。
「と、時の空間よ、我を支え浮かせよ、レビテトォーっっっ!!!!!」
  声を振り絞って、絶叫する。もはや呪文とは思えない。
  レビテトは間に合い、フワリッと浮いた。しかし、その後が良くなかった。
「フミャーッ!」
「あああっ!  クロとかいう猫っ!」
  黒猫が口を開けて、空中でバッツをキャッチした。
  俺はまたあの天井裏に行くのか…。
  そう、半分あきらめた時、道具屋のおやっさんがクロを猫づかみにつかんだ。
「こらっ、また変なおもちゃを拾って来て」
  おやっさんは、クロの口から、バッツをつかみ出した。
「まったく…。クロのオモチャ集めにも困ったもんだ…。天井裏の掃除なんて滅多にやらないんだから
な」
  やれやれとため息をついて、手にしたバッツを見る。
「それにしても…。いやに精巧なおもちゃだな…」
「お、おやっさん…、おもちゃじゃない…」
「うわあああっっ!!  おもちゃがしゃべったああっ!?」
  驚いて、バッとバッツを投げ出した。
「うわあっ!」
  幸い、レビテトはまだ効いている。壁に反発し、ふわりと浮いて、激突はまぬがれた。
「う、うへえ…。レビテトかけといてよかった…」
  バッツは、心底ホッとした。
「さて、と…。レナたちの部屋にどうやって行こうか…」
「ふみゅーん」
  彼のすぐ後ろで、鳴き声がした。
「ぅおうっ!  ク、クロか…」
「みゃー」
  クロは、どうやら、バッツがおもちゃでないことに気づいたらしい。
  好奇心いっぱいの目で、バッツを見ている。
「ど、どーやら、俺をあの天井裏に持ってくみたいじゃないみたいだな…」
  バッツはクロを見て、あることを思いついた。
「でも、できる…かなあ?」
  そう、クロを見た。
「みゃあ?」
  クロはくりっと首をかしげた。

「う、うまくいくかなあ?」
  バッツはクロの首の上にのぼり、不安そうな表情である。何とか乗せてもらえたが、これからどうな
るのか。レビテトのおかげで、またがる事ができない。クロの毛につかまってまたがるようにしている
のがやっとなのだが…。
「これがボコや、チョコボならいいんだけ…」
「ミャア!」
「どわわわわわわわっっっ!?」
  いきなりクロが走りだしたのだ。なぜ彼が走りだしたのか。
  理由はすぐに判明した。ネズミがすぐ彼の前をチョロリとしたのだ。
「うわああーああーああぁぁああっっ!!!!」
  クロは背中のバッツなどおかまいなしに、ネズミを追いかける。そして、必死になってクロの毛につ
かまるバッツ。もう猫がどこを走ってるのかなんて、全然わからない。
「ミャアーッ!」
  猫は狙いを定め、ぴょんっと高くジャンプして、ネズミに飛びかかった。
「うわああーっ!」
  飛びかかったひょうしに、手がすべり、バッツはクロから、振り飛ばされてしまった。
「うわあぁぁっ!?」
  レビテトはまだ効いている。壁に激突はまぬがれた。
「ほ、本当にレビテトかけといて、本当に…良かった…」
  非常に早く脈打つ心臓を押さえ、バッツは自分の無事の喜びをかみしめた。泣くには自分のポリシー
が許さなかったが、ハッキリ言って半分泣いていた。
  しばらくして、落ち着いて。
「しかし、ここはどこなんだろう?」
  キョロキョロと周囲を見回す。どうやら、宿屋の廊下らしいのだが、視野がまるで違うのでどこらへ
んなのか、まるで見当がつかない。
「バッツ!  どこ行ってたの!?  探したのよ!」
  なつかしく感じられる声に、バッツは振り返った。
「………っっ!」
  そして、その光景に絶句し、凍りついた。
「………どうしたの?  バッツ…」
  小さなバッツの様子に、レナは首をかしげた。あれだけ探しもとめていた彼だが、どうもバッツの様
子が気になる。
「レナ…」
「……なに?」
「意外に派手なぱんつはいてんだな…」
「へ?」
  そうなのだ。レナはスカートをはいている。位置的に、小さくなったバッツの視野からいえば、必然
的であろう。
「きゃああああああああ!!!」
  バッとスカートを押さえ、しゃがみこむ。
「バ、バッツぅ〜!」
  顔を真っ赤にして、バッツをにらみつけた。少し涙ぐんでいる。あれだけ心配していた自分が馬鹿ら
しくさえ思えて来る。
「い、いや、レナ。それはフカコーリョクってやつで…」
  ハッと我にかえって、慌てて言い訳を言うが、相手に通じるワケもなく。
「バッツ!」
  パッとバッツを引っつかみ、ギュウッとばかりに、彼を握り締めた。
「う、うぐぐぐぐぐ…ご、ごめんごめんごめんってば!」
「ごめんじゃ済まないわよ!  意外にだなんて…失礼ね!」
「どうしたんだ、レナ?  大騒ぎして…」
「姉さん…」
  ファリスが、しゃがみこんで、なにやら大騒ぎしている妹に不穏がって、やって来る。
「バッツが…」
「バッツ?  ああ!  見つかったんだ!  良かったなー」
「良いもんですか!  バッツが…、バッツがああああ!」
「うわいてててててててっ、レナ、レナ!  骨が折れる!」
  レナは力を込めて握り締めるもんだから、バッツは苦しいなんてもんじゃない。
「お、おいおい!  なにやってんだよ!」
  事情を知らないファリスは握り殺そうとしているレナに慌てた。
「聞いてよ姉さん!  バッツがね、バッツがね、わたしの…」
「わたしの、なに?」
  しかし、ファリスにとってはレナが涙ぐむ理由や、そして、それを言いたくない理由なんぞ、知るよ
しもない。
「わたしのねーっ!」
「うぐぁあああああああっっ!」
「あぁああぁああぁー!  レナっ、やり過ぎやり過ぎぃー!」

  バッツは、もう少しで、戦闘不能状態のところにまでなっていた。
  元の姿に戻されたバッツは白目を向いて、生気も無さそうにベッドに横たわっていた。
「…いったい何があったんじゃい…?」
  ガラフも不思議そうにバッツとレナを交互に見る。
  結局理由はわからないままで、ファリスはあきれた様子で肩をすくめて首をふった。
  レナはというと、未だ怒りが解けないのか、赤い顔させて頬をふくらませたままだった。
  自分が大人気ない事もわかっていたが、どうしても恥ずかしさや苛立ちが先にたってしまい、許す事
ができない。
  レナの怒りが解けるのと、バッツが完全に回復するのに、ちょっと時間がかかってしまった事件であ
った。

                                                                        おしまい