「どうしたんですか? マオ。明かりもつけないで?」
パチンと音がして、一瞬にして部屋が明るくなる。
ああ、もうこんな時間なんだ…。
僕は目を落としていた写真から目を離して、窓の外に見るともう随分と陽が暮れかかっ
ていた。
「父さん」
「まだ荷物がまとまらないんですか? 手伝いますよ」
僕の家系特有の細い目が穏やかに僕を見つめている。父さんは息子の僕相手にも丁寧語
を使う。時々、違う言葉使いもするけれど、誰に対してもそうだから、人によっていちい
ち変えるのが面倒くさいんだろう。妙なところで面倒くさがりだと、息子の僕でも思う。
さすがの僕も親相手には丁寧語は使わない。いや、昔の人はこれが逆だったんだろうけど。
まあ、ともかく。
「いや、うん…一人でやるよ…」
「そうですか…」
あまり表情が変わらないように見えるけど、少し寂しそうな顔になったのがわかった。
母さんは未だに父さんの考えてる事が時々わからないそうだ。僕らの顔の変化がわかるの
は大叔父のオズさんや、パオさんとかで、この顔を継いでいる血族だけらしい。
「しかし、早いものですね。子供子供だと思っていたマオが、結婚ですか…」
寂しそうな、でも感慨深そうに、父さんはゆっくり息を吐き出した。僕は照れを隠すた
めに笑ってごまかした。
「明日にはあちらに荷物を運ぶんでしょう? どれくらいまとめられたんです」
「だいぶ終わったよ。あと30分もかからないでまとめられるよ」
「そうですか。……何を見てたんですか?」
ふっと息をついて、父さんは僕の手にある写真をのぞき込んできた。そして、軽く息を
飲む。
「…それは……」
「何年前? 父さんと、…アカリおばさんでしょう、これ? マツリにそっくりだね。い
や、マツリがアカリおばさんにそっくりなんだろうけど…」
僕の手にある写真には、随分と若い父さんと、やっぱり若いアカリおばさんが並んで立
っている写真だった。アカリおばさんの若い頃の写真は初めて見たけど、本当に娘と瓜二
つなくらいによく似ている。今でもよく似ているけど、おばさんの若い時分が、ここまで
似ているとは思わなかった。
小ぶりなイトウを手に持って嬉しそうなアカリおばさんと、釣竿を握って笑っている父
さん。イトウと言えば幻の魚と呼ばれる程珍しい魚で、そのイトウを釣った記念に撮った
ものだったんだろうというのは伺えた。
「これ、どこにあったんですか? なつかしいなあ…」
写真を眺める父さんの表情は、何とも言えない、甘酸っぱい顔をしている。……こんな、
表情するんだなあ、父さん…。……母さんはこの違いがあんまりわからないんだろうけど
……。
「本を整理してたら、はさんであったんだ」
「ああ、この本ですか。そういえば、昔、彼女に貸したんでしたっけ」
それは、初心者向けの釣りの本で、僕ら一家にとっては不要と言っても良いくらいのも
のだ。人に釣りを教える時に使ったかもしれないけど、ずっと物置部屋の本棚の奥に入り
込んでいた。
「何年前なの? 二人とも随分若いね」
「もう何年前になりますかねえ。マオが生まれるよりももっと前ですよ」
僕が持っていた写真を手に取り、僕が手を離すと父さんはひどくなつかしい顔で写真を
眺めている。
「当時は、まだ釣りの初心者だったアカリさんに付き合って、釣りを教えてたんですよ。
この時はオズ叔父さんも手伝ってくれてね、叔父さんが撮ってくれた写真なんですよ」
「…へえ。嬉しそうだね」
「ええ。見ての通りイトウが釣れましてね。幻の魚だと私と叔父さんが教えたら、彼女、
大喜びして、記念に叔父さんが写真を撮ったらどうだ、と」
「ふーん…。でも、そういう時って、普通一人で写すもんだよね。……どうして父さんも
写っているの?」
僕はちょっとだけ意地悪心を起こしてそう聞くと、父さんは少し照れた顔をした。
「いや、どうしてって……」
「……この様子だと、大叔父さんは気づいてたんでしょう?」
「いや……その……参るなあ……」
父さんはしきりに頭をかいて、随分と照れている。
母さんも気づかなかっただろうし、アカリおばさんも知らなかったんだろうと思うけど。
父さんはこの時、アカリおばさんの事が好きだったみたいだ。
写真の中の父さんは、照れたような、嬉しそうな。何とも言えない笑顔で笑っている。
この表情で、なんとなくだけど、写真の中の父さんは隣にいるアカリおばさんがすごく好
きなんだなと、直感でわかってしまった。
「母さんと出会う前?」
「母さんとは前々から顔見知りでしたよ。親しくなる前でしたけど」
父さんはまだ恥ずかしそうである。
「ふーん…。……僕は父さんの好みが遺伝したのかな?」
「親子でしょうが」
そう言われて、僕も笑ってしまった。
「もしかして、フラれちゃったの?」
僕が単刀直入に尋ねると、さすがの父さんもほんのちょっと嫌そうな顔をする。
「いや、そういう事は…なかったですよ」
「でも、僕の母さんはアカリおばさんじゃないし」
「明日からは義理とはいえ、そうなるでしょう」
「ああ、そうだね。……でも、産みの親じゃないよ?」
「当たり前でしょう。母さんが聞いたら怒りますよ」
僕はまた笑ってごまかした。こんな言い合いは本当の親子だからこそ、容赦がないんじ
ゃないかな、と思う。甘えと言えばそうだけど、安心感でもあるんじゃないかな、と。
「でも、それじゃあ、フッた……ってわけでもなさそうだし」
「当然でしょう。ふりふられなんて、無かったですよ」
「じゃあ、ただの片思いだったの?」
「………………」
僕の言葉に、父さんは深いため息をついた。図星だったようだ。少し困ったように僕の
顔を見て、それからその色あせた写真に目をやる。
しばらくその写真を眺めた後、さっきとは違うため息を吐き出しながら、少し照れた顔
をした。
「……ああ、でも、確かにこれは……マオにはバレてしまいますねえ……」
写真の中の父さんの、舞い上がったような笑顔。大叔父は、そんな父さんがおかしくて
仕方がなかったんじゃないだろうかと、思う。
「……ここだけの話、本当に大好きでした……」
「うん」
黙ってじっと写真を眺めていた父さんは、ぽつりとつぶやくように言った。
「一緒にいるだけで、幸せだったんです。隣に彼女がいるだけで、もうそれだけで良かっ
た。彼女がいなくても、彼女の事を考えるだけで気持ちが暖かくなる程でした。あんなに
人を好きになったのは初めてで、自分自身どうして良いかわからなかったんですよ。あの
時は無知で、思いを寄せているだけで満足だと思っていました。……でも、人を好きにな
るという事は、そんな綺麗事じゃないと、あの人の花嫁姿を見て思い知りました」
少し顔をうつむかせて、写真から目を離さないで静かに言葉を続ける。
「あれほどまでに好きになった人が、違う人のものになってしまう。それがどれだけ自分
にとってショックなのかという事を、身に染みて痛感しました。あの人の結婚式から一週
間くらい、ごはんの味がよくわからなかったくらいですよ」
「……そんなに……」
「ええ。マオも、マツリちゃんが他の人の所へお嫁に行く所を想像してごらんなさい」
「勘弁してよ」
それ本気で勘弁してよ。僕が少し感情を出してそう言うと、父さんは少し笑った。
「だから、お母さんの時はもっとちゃんと自分の気持ちを伝える事にしたんです。もうあ
んな思いは懲り懲りでしたから。フラれたとしても、自分の気持ちに素直になれた分、後
悔も少ないですから」
「………………」
「……オセは良い人ですから、彼女を幸せにしてくれる事はわかっていました。今では、
それで良かったと思いますけど。でも、理屈じゃないんですよね。あの人の隣にいるのが
自分だったらと、無駄な事を随分思いました。この写真みたいに、ずっと隣にいられたら
と夢を見た時もありました。……もう、昔の話ですけどね」
「……父さん……」
「私はお母さんと結婚して、マオが生まれてきてくれて、良い人生であると思います。息
子の結婚式という、明日みたいな日がくるわけですから」
「………………」
僕は急になんだか恥ずかしくなってきて、顔をうつむかせた。もう僕だって子供じゃな
いというのに、父さんは僕の頭にぽんと手のひらを乗せた。
「……あんなに小さかったのに、子供の成長は早いものですね」
「……父さんは、僕がマツリと結婚すると知った時、どう思ったの?」
「嬉しかったですよ。マツリちゃんはいい子ですから。マオの良き伴侶となってくれるに
決まっているのだし」
「…いや、その、マツリの母親はアカリおばさんでしょう? その事について、さ…」
「……うーん。その事は、そんなに……、なかったかな。ただ、異性の好みは遺伝するも
のだと、妙に感慨深く思いましたけど。別にお母さんが趣味じゃないとか、そういう事は
もちろんありませんが」
少し慌てたように付け足す父さん。別に言い訳しなくてもそんな事はわかってるんだけ
ど、さっきの思い出話の手前、父さんも母さんに対して多少(?)後ろめたいらしい。
「そういえば、青い羽根はマオの方から渡したんですか?」
小さな反撃のためか、父さんは急に話題を転換してきた。
「え? え、う、うん……」
「そうですかー。父さんも、自分からお母さんに渡したんですよ」
「え?」
それを聞いて、僕は思わず聞き返してしまった。……で、でも、確かに、考えてみれば
……。
「ど、どうしたんですか?」
「あ、ああ、うん…。その……ここだけの話、マツリにプロポーズしようと決断したまで
は良くて、青い羽根がもう、全然見つからなくてね……」
「時々、この島に青い鳥がやって来ますけど、運が悪いと全然見つけられませんからねえ」
実は、それで苦労する恋人達は案外多いらしく、青い羽根のやり取りをしないプロポー
ズもあるそうだけど、僕は何としてでもこの手で彼女に青い羽根を渡して、受け取っても
らいたかった。
「で、どうしたんです?」
「うん。……僕があんまりにも思い悩んだ顔をしていたみたいでさ。それでいて、島中駆
けずり回っているのが母さんにバレたみたいで」
「……そういう所はちゃんと母親ですよねえ。父親の私が気が付けなかったのは、なんだ
か情けないなあ……」
寝ながら釣りばかりしてるからだと思うけど……。まあ、いつも大きく構えているよう
に見えて、僕は嫌いじゃないけれど、人によってはイライラさせられるんだろうか?
「本当は言いたくなかったんだけどね。……どうしても自分で見つけたくて、でも見つけ
られなくて。バーンもヒースも、マツリを狙っているような気がして、気ばかり焦って。
……探し疲れて母さんにこぼしたら、これを使いなさいって、青い羽根をくれたんだ」
「………………じゃあ……」
「僕はあの時、それを受け取ろうかどうかも迷ったんだけど。義理の母親から受け継ぐも
のがあっても良いものよって、言われて。それを、アカリに渡したんだ……。あの羽根は
古ぼけていて、新しい羽根には見えなかったから…、だから、多分…」
さっき、父さんから母さんに想いを伝えたと本人が言っていたわけで、つまりプロポー
ズをしたわけで、だから、その羽根は父さんが母さんに渡したものだったわけで……。
「……そうですか……私の渡した羽根が…マツリちゃんに……」
なんだか、妙な感覚だった。父さんが渡した羽根は、母さんから僕に、僕からマツリに
手渡された。父さんの青い羽根は時代を越えて、想い人の娘に受け継がれたのか…。
母さんが渡してくれた羽根は少し古ぼけていたけど、今でも綺麗な色をしていて、とて
も大事にされていたのが伺えた。本当は、やっぱり自分で見つけた羽根の方が良いと思っ
ていたんだけど、そんな事をしたら母さんの気持ちを踏みにじりそうでできなかった。そ
れに、マツリなら母さんに大事にされていたこの羽根を見て、何かを感じ取ってくれると、
信じていたから。
マツリはあの古ぼけた羽根を見て、素敵な物だと言ってくれて、大切そうにハンカチに
そっとくるんでウエストポーチに入れていた。その仕草がすごく可愛くて、思わずぽーっ
となってしまったのはここだけの話…。
「なんだか、不思議な縁ですねえ…」
「…そうだねえ…」
僕たちは何とも言えない表情で、顔を見合わせた。
「そして、明日が挙式というわけですかあ…」
それから、父さんはまるで自分の事のように嬉しそうにほほ笑む。けれど、父さんの昔
の片思いは息子の僕が実現させてしまったとでも言ってしまうのだろうか…?
「式といえば、タケル君と連絡は着いたんですか?」
明日の僕達の結婚式の事で、たった一つ非常に残念な事があって、それは僕もどうにか
ならないかと思っている事で、僕はため息をつきながら首を振った。
「いや。だめみたい。大陸の都会を一時期ふらふらしてみたいだけど、でもやっと落ち着
いたっていう手紙が来たそうなんだ。でも、電話もまだ引いてないようで、すぐに連絡つ
かないんだって。まあ、ついたとしても、明日じゃとても間に合わないよ」
僕達の結婚式には、みんなに出席してもらいたくて、お世話になった人全員に招待状を
送ったんだけれど……。招待状が届くのも、そしてここに到着する事もすぐには無理そう
なのが、一人。
「町長さんに言って、日取りを変更して……もらえないんですよね……」
「あの人、いい人だけど真面目すぎる所があるから、難しいと思う。もう式の準備は万端
みたいだし」
「うーん。もうちょっと融通をきいてもらっても……と思いますが、お前達のために一番
の吉日を選んでくれましたしねえ…」
「まあ、マツリの方はさっぱりしたものだったけど……」
妹というのは薄情なのだろうか。あまりにさらっと言い放つものだから、僕の方が慌て
てしまった。
「きっと自分の兄の事で周りに迷惑をかけたくないんですよ。もう日にちは決まってしま
ったのだし、自分の我が儘で周囲を振り回すのを善しとしないでしょう、あの子は」
「うん……」
そうだとわかってはいるけれど……。
「しかし、タケル君が旅立つと聞いた時は驚きましたねえ。オセは自分の跡を継いでもら
いたかったようですけど」
「オセおじさんには悪いけど、タケルに鍛冶屋は似合わないような気がする」
僕が思わずそう言うと、父さんは小さく苦笑した。どうやら父さんも同じことを思って
いたらしい。まさか前から漁協に身を置いてる僕に鍛冶屋をやれとは、さすがのオセおじ
さんも言わないだろうけど。僕が、釣りしか脳がないのは周知だし…。
「……はは…。それで、今は、何をしているんですか?」
「マツリからちょっと聞いたけど、ここみたいな島で小さな畑をたがやしはじめたって、
手紙に書いてあったそうだよ」
「へえ……。まるで……アカリさんみたいですねえ……」
「ん?」
「あ、いえいえ」
僕が聞き返すと、父さんは笑って首をゆっくり振った。その時、部屋の外から母さんの
声が聞こえてくる。
「マオ。準備できたの? まだ荷物がまとまらないの? お父さんも、もうごはんよ」
ずっと部屋に引っ込んだままの僕たちに、母さんが夕飯の知らせにやって来たのだ。そ
の声に僕たちはぎくりと顔を見合わせる。
「……マオ、さっきの事は秘密ですよ」
小声で、こそっと父さんが僕に耳打ちした。
「……もちろん」
僕は小さく笑ってすぐに頷く。……でも、「絶対に秘密だよ」と先に言っておいて、僕の
妻になる人には喋ってしまいそうな気がしていた。
「…家族3人の夕食は、もしかしてこれで最後かもしれませんねえ」
「え?」
突然、父さんがこんな事を言いながら、僕を促して歩きだす。
「これからは、家族が増えますからね。マツリちゃんに、それから孫も連れて来るんです
よ」
「……いや、その……」
それには僕も口ごもり、思わずうつむいて口の中でごにょごにょとつぶやいた。そんな
僕に、父さんはにっこり笑って、僕の背中に手を回して部屋の外に向かう。
「さあ、夕飯を食べましょう。お母さんの魚料理は美味しいですからね」
END
愛唄を聞いていたら、なんとなく絵柄がふっと浮かんできて、先にイラストを描いてから
こっちの方に着手しました。まあ歌の歌詞とはだいぶ関係のない内容になりましたが。た
だ、なんか追憶な印象のあるメロディだったもので、印象からで。
ゲームだから仕方がないとはいえ、主人公もライバル達も子供はみんな一人っ子ですよね。
主人公達のこどもを勝手に兄妹にしてしまったりしましたが。男の子の名前の方はおまか
せで出てくるワタルにしようかとも思ったんですが。まあ、話の展開的にはタケルの方が
良いかなーとか。思って。
攻略本を見たら、オセとの子供が主人公たちの子供の頃の顔つきとして似てるかな、と思っ
て、このハナシのアカリの婿はオセです。いや、もちろんオセも好きですが。
オセはとっても良いお父さんになりそうですね。さすがの彼も娘の結婚式には泣きそうで
すよね。最初はタオに「唯一オセを泣かした男がマオだ」とか何とか言わせようかと思っ
てたんですがー。話の展開的にどこにも入りませんでしたので割愛。
っていうかこのハナシは一応カップリング話として成立するんだか、しないんだか…。
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