「んーっ、んっふっふーっ♪」
 ご機嫌に鼻歌を歌いながら、青年は中華鍋の中のご飯を炒めている。機嫌の良さは相当
なようで、鼻歌に合わせて菜箸を動かし、身体を揺らしていた。
「チハヤ。気持ち悪いわよ」
 少しひなびているが、隅々にまで掃除が行き渡っている気持ちの良い宿屋兼飯屋兼酒場。
小さな町ではこんな複合宿屋は別段珍しいものではない。食堂から少し奥まった所にある
厨房で料理している青年に、この酒場のウェイトレスがお盆を小脇に抱えて少し大きな声
で言う。
「えー?」
 きちんと聞こえていなかったのか、やはりご機嫌な声の調子で聞き返して、チハヤと呼
ばれた青年は中華鍋を動かして、チャーハンの仕上げにかかる。
「気持ち悪いのよ。さっきから。にやにや笑ってるかと思うと急に吹き出したり、妙な鼻
歌歌ってたりさー」
 金髪を高く結い上げて、快活なイメージの娘。酒場のマスターの娘でチハヤと呼ばれる
青年と共に酒場では給仕を勤めている。
「キャシー。チハヤは新婚なんだ。大目に見てやれ」
 今までずっと無口だった酒場のマスターが、低い声で娘をたしなめた。
「だって、厨房から変なオーラが出てる感じで、気持ち悪いんだよ?」
 両手を広げて見せて、キャシーは口をとがらせる。
「ったく、アカリもどうしてこんな男を選んだんだか」
「それは聞き捨てならないな」
 出来上がったばかりのシーフードチャーハン2つをお皿に盛って、チハヤは厨房から姿
を現した。
「本当の事を言ったまでよ。みんな不思議に思ってんだから」
「何でさ」
 軽く言い合いをしながらも、チハヤは注文されたチャーハンをキャシーに手渡し、彼女
は慣れた様子でそれをお盆に乗せる。
「そりゃあ、あんたは料理上手よ? 収穫祭の優勝候補の筆頭はあんただし」
 お盆に乗せたシーフードチャーハンと、マスターである父親から出来上がったばかりの
カクテルを受け取り、少し離れたテーブルに置きに行く。
「はい、どうぞ。」
「ありがとよ」
「すみません」
 テーブルには、酒場にそんなに姿を見せない漁協の親方と若いのが向かい合って座って
いた。オズとタオである。
「でも、あんたのその優勝をおびやかすのは他でもない、あんたの若奥様よ」
 少しわざとらしいキャシーの言いようだが、若奥様という響きに得も言えぬ物を感じ、
チハヤは一瞬どこかに気持ちが飛んで行った。
「つまり、あんたの料理に釣られる要素はほとんどないのよ」
「そうとは言い切れないだろ?」
 キャシーの言い草に、チハヤは我に返って少し不機嫌そうになる。
「お互いに、料理について切磋琢磨していきたいとかさ」
「で、どっちが料理作ってんだい?」
 今まで二人の会話を聞いていた漁協の親方オズが、芋酒を飲みながら口を挟んできた。
「平日は僕で、休日は彼女だよ。もっとも、僕はここに勤めてるから、夕食は彼女が自分
で作ってんだけど」
「そうかい。けどよ、なんか、もったいねえ感じだよな」
「何がさ」
「考えてみろよ。おまえとアカリの手料理は腕の良い自分たちだけで食ってよ、おこぼれ
がおれっち達に回ってこねえ、そういう事になるだろが」
 言って、オズはぐぐいっと芋酒を飲み干す。そして、空のコップを上げてキャシーにお
代わりを催促した。
「僕の料理は、今、食べてるじゃないか」
「ああ、まあな。おれっちが言ってんのはアカリちゃんの料理の方よ。前に一度ちらしず
しを食わせてもらったが、いやぁ〜絶品だったね! ああいうのを嫁にすれば美味い魚料
理が毎日食えると! だのに、彼女の手料理は料理人のあんたばっかり食うって事になる。
なんか、もったいねえ話しじゃねえか」
 キャシーはすぐに父親にお代わりをオーダーし、ハーパーはそれに黙って頷く。
「ちっともそう思わないよ」
 さっきまでご機嫌だったチハヤは、今やだいぶ不機嫌になっていた。
「もう、アカリが男の子だったらなー。あたしお嫁さんになるのにー」
 違うテーブルで少し遅めの夕食をとっていたマイが、急に話題に入ってきた。
「あんた、本当に美味しい料理に目がないね」
 オズのテーブルに新しい芋酒を置くと、苦笑して、キャシーはマイの方に目をやる。
「うん! 美味しいものだーい好き! アカリんとこの野菜も卵もミルクも、そのままだ
けでもびっくりする程美味しいんだもの。料理の技術はチハヤの方が上だけど、素材と出
来上がりはアカリの方が良いんだよね〜」
「って事は、アカリんとこの食材使って料理作ってんの?」
「そりゃそうだよ。毎朝、美味しいの持って来てくれるんだもん、彼女」
 ポニテールを跳ねさせながら振り返り、キャシーはチハヤを見た。
「うらやましぃ〜」
 その味に思いを馳せて、マイは机の上に突っ伏す。
「俺っちも、アカリちゃんの作ったフカヒレスープを飲んでみてえなあ!」
「そんな高級料理……」
 チハヤは苦々しい顔で、腰に手をあてて贅沢をぬかす漁協の親方を見た。
「やっぱり独占は良くねえと思うのよ。独占禁止法ってあるだろ?」
「聞いた事あるけど、聞いた事ないよ!」
「矛盾したセリフ…」
 怫然と言い返すチハヤに、キャシーがぼそっと突っ込む。
「大体独占って…………。そ、そりゃ結婚したんだから僕が独占するのが当然で…」
「顔……緩んでるわよ……」
 何に思いを馳せていたか、あっと言う間にふやけた顔になるチハヤをキャシーはすぐに
指摘した。
「と、ともかく」
 ニヤけ顔をおさえられないようで、口元に手を当ててごまかしてはいるが。
「……何だっけ?」
「知らないわよ…」
 言いかけた事をすっかり忘れて、思わずキャシーに聞くチハヤに、彼女は付き合ってら
れないとばかりに両手を広げて見せた。
「アカリの手料理の独占云々という話題だった」
 ボツリと、そんなに大きくもないし低いのによく通る声で、ハーパーが話題を引き戻す。
「そ、そうそう。えーと、別に僕の料理はここで食べられるしさ。それに彼女、時々料理
のおすそ分けしてるだろ? それでも駄目なのかい?」
「もっと食いてえと思うのが人情たあ、思わねえか?」
 チハヤの言う事に否定はせず、オズがそんな事を言う。それを聞いて、チハヤはあまり
嫌そうな顔を隠さないで見せた。
「なんだよ、それ」
「チハヤ君をからかってるんですよ。あまり相手にしなくても良いですよ」
 珍しく酒を飲んでいるタオが、そう口を挟んできてチハヤをやんわりなだめている。
「おう、なんでいタオ。おめーもアカリちゃんが嫁にとられて残念そうだったじゃねいか
い!」
「ぶっ…」
 図星なのか、いい加減な事を言われたからなのか、タオはちょっと酒を吹き出した。
「ああ、思い出すよなあ。輝く刺身に、寿司に、ムニエル。あのマリネも傑作だった…。
ちらし寿司は言わずものがな、鰻丼に穴子丼、忘れちゃいけねえマグロ丼。蕪蒸しはまた
食いたいねえ…。漁協の厨房でさっと作ってくれたハマグリの吸い物は、タオが作ったヤ
ツより美味かった……」
「それ絶対アカリが作ってないのも混ざってるでしょ」
 芋酒を片手に、歌い上げるようにオズは指折り魚料理をあげていく。言い上げた料理は、
高級料理が多くて、お盆を小脇にキャシーは呆れて漁協の親方を見た。
「おまいさんも食ってみると良い、あの潮汁を……」
「あたしはチーズオムレツの方が美味しかったと思うけど…」
 アカリととても仲の良いキャシーは、実際オズよりも彼女からのおすそ分けをもらって
いる。二人でケーキを一緒に作ったりして、小さなお茶会を催したりもしたのだ。
「つまり、そういう事なんだよ」
「どういう事なんだか、さっぱりわからないよ」
 オズは酔いが早いのか赤い顔でチハヤに向かってビシッと指さして、彼の不興を少なか
らず買っているようである。不興を買ったところで、別にチハヤはオズをどうしようなど
と、ちらとも思わないが。
「なにより野郎の手料理てえ響きは、なんか物悲しいものがあるだろうが」
「響きについては否定はしないけど。だったら僕の料理をなんで食べるのさ」
「んなもん、うめぇからに決まってんだろーが」
 チハヤが作ったチャーハンをがつがつ食べながら、オズがきっぱり言い切る。
「…………つまり、美味しくてなおかつ、可愛い女性に作ってもらったヤツが良いと」
「あたぼうよ。ダイやオセみてえな手の男が作った料理とだよ? 比べてみろよおめー。
気分の盛り上がりってのが違うだろうが」
 酒ですっかり盛り上がっているオズは拳を振り回して力説した。
「いや……そりゃ、気分については、否定しないけど……」
 さすがのチハヤも呆れて、チャーハンを食いつつ酒を飲むオズを脱力した様子で眺めて
いる。
「あの子が作ったみそ汁を手渡されて、それを飲んだ時、ああ、再婚も悪くねえかもと、
心の端でちっと思っちまった程だ」
「ちょっと」
「もちろん、ちっーと思っただけだけどな。なに、こうしておめえさんを祝ってやってん
だから。まあ、飲めよ」
「それのどこが祝っていると……。いや、いいよ。いいってば、飲みかけでしょ、それ」
 オズの飲みかけの芋酒をぐいぐい突き出されて、チハヤは引いた顔でそれを拒否した。
「なんでぃ、付き合いがわりいなあ。おう、タオ。おめえも飲めって」
「いやー。私芋酒はいりません」
 多少タオも酔っているのか、叔父の勧める芋酒を珍しくきっぱりと断っている。
「ったく、オズさん疲れてると絡みだすんだから」
 キャシーはため息をついて、酔っ払っているオズを少し離れた、マイが夕食をとってい
た席で眺めていた。
「……あれ、雨?」
「え?」
 机の上の空の食器を片付けていたマイが、雨音に気づいて窓の外に目をやる。釣られて、
キャシーもマイと同じ場所に視線を移した。
「ああ、本当だ……」
「結構降ってる?」
 二人は窓に近づき、空の様子を確かめる。月はすっかり雨雲に隠され、しとしとと雨が
降り続いていた。
「うーん。これは、傘がないとつらいかもなあ」
「そうだね」
 そんなにたくさん降っているわけではないが、この季節に濡れて帰るのは寒いだろう。
「いつ頃から降ってるんだろうね?」
「さあ……。5時前は降ってなかったけど」
 二人は、暗闇の中振り続ける雨を眺める。
 酒場の中央では相変わらずオズが一人で盛り上がっており、タオが適当すぎる相槌を打
っていた。

「タオ。これを持って行け」
 漁協に住むオズはここから近いが、タオはメープル湖の近くに住んでいるため、傘がな
いと辛いだろう。そう思って、宿屋の女将のコールが傘を用意してくれていたのを、ハー
パーが手渡す。
「ああ、どうもすみませんねえ。助かります」
 酒場が閉まる時間、オズは最後までねばっていて、タオも律義に付き合っていた。叔父
ほど酒を飲まなかったタオは、少し赤ら顔でその傘を有り難く借りる事にする。
「大丈夫なの?」
「大丈夫ですよ。叔父さんを送ってから、帰る事にしますから」
「気をつけて行け」
「ええ」
 ハーパーとキャシー親子が心配そうに見送られながら、タオはオズの肩を担いで振り続
ける雨の中、傘をさして闇へと消えて行った。
「チハヤ。そっちはどう?」
 しばらくそれを見送ってから、キャシーは振り返って掃除をしているチハヤの方を振り
返る。
「うん。もう終わるよ」
「ご苦労だったな」
「チハヤも傘借りてく? 遠いでしょ、家まで」
「ああ、そうだね」
 掃除道具を片付けながら、チハヤは頷いた。キャシーは酒場の戸締まりを確認するため、
壁伝いに窓の鍵を確認する。
「けど、そんなに降ってるの?」
 帰り支度を手早く整えて、チハヤは上着を羽織ながら酒場の出入り口へと向かった。
「深夜になって降りもひどくなってるっぽいよー」
「そっか。…あ、え?」
 チハヤの声の調子が不意に変わったので、キャシーは何事かと、彼の方へと視線を向け
る。見ると、ハーパーが無言でチハヤに一本の傘を差し出している所だった。
「あれ? これ、僕の傘? でも、これ家に置いてきたはずだけど…」
「1時間程前だったか。アカリがこれを持って来てな。渡してくれと頼まれた」
「え?」
「えー? アカリ来てたのー?」
 話を聞いていたキャシーが思わず大声を上げる。
「ああ。チハヤに直接渡したらと言ったが、仕事の邪魔をしては悪いと言われた」
「でもいつの間に? ここに入ったら一応全員チェックしてるはずなんだけどな」
「俺が外にちょっと出た時に呼び止められてな。そこで手渡されたからわからなかったの
も無理はない」
「そっかあ。なんだ。声をかけてくれれば良かったのに」
 彼女と仲の良いキャシーはそう言って残念がった。
「ん? どうした、チハヤ」
 傘を持ったまま、ぼーっと突っ立っているチハヤに気が付いて、ハーパーは彼の顔を少
し伺う。
「あ、いいえ、その、何でもないですよ。ただ、その、なんだ、えっと、だから……うん
……ただ、…嬉しくて」
「やれやれ」
 素直になる事に慣れないチハヤは、ひどく照れ臭そうに、とびきり素直な笑顔を見せた。
それに、キャシーは軽く肩をすくめて、ハーパーは鷹揚にただゆっくり頷く。
 営業スマイルしか見せなかった彼が、こんなにも素直に笑えるものかと、キャシーは感
心している。変にプライドが高くて、あんなにひねくれ者だったのに。
「気をつけて帰りなよー」
「うん」
「じゃあ、また」
「ええ。それじゃ」
 ハーパー親子に見送られて、チハヤは妻が届けてくれた傘をさして、闇の中へと消えて
いく。仕事で疲れているだろうに、妙に足取りが軽かった。
「あのチハヤがねえ……。……人って変わるもんなんだね」
「そうだな」
 苦笑しながら、最後の戸締まりをするキャシーに、ハーパーは言葉少なめに頷いている。
「あーあ。親方じゃないけど、私もアカリの作ってくれた料理食べたくなっちゃった!」
「……そうだな」
 それを食べれば、自分もなんだか良い方向へ変わっていけそうな気がして、キャシーが
伸びをしながらそう言うと、父親は、少し笑った顔で頷いてくれた。



                                                                      END

















































特にヤマとかオチもないですが。浮かれているチハヤが書きたかったな、と。あと、威勢
の良いのがあの島ではオズさんしかいないので、オズさんにご登場願いました。タオはそ
れのおまけです。つーかハーパーさんって良いよね。キャシーも可愛いし。良い親子だ。